アルファブロガー小飼弾さん、ジジェクについて語る。

わーお。⇒http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51021534.html
そして、このタイミングなら言える! ジジェクのエッセイを勝手に訳したから、みんな読んで! 引用するときは、各センテンス頭のアンカーが便利だよ!
「ジャック・バウアーと緊急時の倫理」
「略奪や強姦を行っていると想定される誰か――ニューオーリンズにおける現実とファンタジー」
"You May!"


以上、宣伝でした。



ついでなので、お前は次に○○と言う!遊びのお時間。
僕は小飼さんが次に「中途半端にプラグマティズム分析哲学の話をし始める」に乗ります。「語りえぬものに……」とか言い出す可能性すらあるかも。
皆さんはどうですか?

「90億の神の御名」

僕にとってのクラーク作品と言うとこれ。小学生の頃に何かのアンソロジーで読んだと思う。どうしようもなく好き好き。

ところで、これの元ネタってハノイの塔だよねえ。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%A1%94#.E7.94.B1.E6.9D.A5 )もちろん計算量はまったく違うけど。

20世紀が終わってしまったとか言ってる暇があったら、計算機のアクセル踏んでブッ飛ばせ、ヒャッホー! という話なので、ある意味追悼にふさわしいのではないかしら。

ついでに石橋さんのこと。

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080311#p1
> 何となれば、国家も、宗教も、哲学も、文芸も、その他一切の人間の活動も、皆ただ人が人として生きるためにのみ存在するものである
文芸やアート以外に対してであれば俺も特に文句を言わずに受け入れて前提に出来るけど、文芸を含む創作全般に関しては、受け入れられない。
文芸を含む創作全般を、とりあえずアートと呼ぶことにする(俺は一貫してそう考えているが、そこの議論は別として)。
アートは、人が人として生きるために存在するわけではない。そもそもアートは、他の目的のための手段ではなく、それ自体が目的であり、アートの内輪の基準として言うなら、どのようなものであれ目的を押し付けられる筋合いなどない。

とてもリベラルな人だとは思うけど、彼はやっぱり政治家なのであって、ここでは政治家の望むアートの鋳型が提示されていて、あるべき自由なアートよりも、彼のアート像は窮屈で狭い。

石橋湛山については全然知らないのですが、「ただ人が人として生きる」という文章を読んで、いきなり「ここには『人とは何か』という確固とした概念が最初からある」と思ってしまうのはダメなんじゃないでしょうか。
とりあえず昔の文章を発掘しておきます。

この辺を真面目に考え始めると、何でも「可謬性としてのリベラリズム」とかがやってきて大惨事らしいです。助けて!大川先生!

脳内ワセダ、見下ろす、残酷さ。

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080312#p2
街は見下ろすものじゃない
地べたから眺めるもんだぜ。一年居候した高田馬場とかは、エキゾチックで、胡散臭い人が胡散臭いまま生きていてもよさそうで、とても好きな街だけど。

僕の数少ない経験から得られた脳内高田馬場というのは、街を見下ろすひとが随分と多そうな街なのですが。というのはともかく、「エキゾチックで、胡散臭い人が胡散臭いまま生きる」ことと、その胡散臭く見える人やその人の周辺の人が街を見下ろす視線を持っていることは何の矛盾も無く両立し得るように思います。
たとえば、西原理恵子の作風の二面性について考えると分かりやすいかも知れません。



まあ、もちろん「見下ろす」の定義によるんですが。僕がここで想定してるのは、たとえば「おいどんはただ生きているだけよ−平民新聞」辺りの方向性です。

ただ、ぼくにはどうしても、他者に対して持ちたくない視点、というかある方向への視線、があって、それがどういった視線なのかというと、それはなかなかひとことで言えないし、きっと言葉にして発する事はないと思う。やさしくありたい、とかそういう風に思ったことは一度もないけれど、自分の持っている残酷さには徹頭徹尾自覚的でありたい。

なんていうか、頭悪い人ですよね。いいから他人にやさしくなれよ。残酷なことするなよ。でも、こういう人って、すべてを捨ててもその視線だけは持ち続けようとするからなあ。そして、その頭の悪さと心中するの。


というわけでというか、何というか、残酷さというものを巡って考えるために大川正彦「正義」とか読んでます。リチャード・ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」の後半部分に関心のあるかたには重要かもしれません。

はてなポイント送った

さっきコンビニではてなポイントを買ってきてid:reponさんに1000ポイントほど献金してみました(⇒スクリーンショット) どういう理路だ。

参考:

404 Blog Not Found:小市民の敵は、小市民
君の年収分を賭けてもいい。彼らにはそんな自覚ないから。それどころか彼らは彼らで「俺たちがこんなに一生懸命やっているのに、なんであいつは足を引っ張るんだ」、と思っているから。

召還していないのにマッチョマンから応答が届いたので、せっかくだから質問します
これマジですか?ホントにくれるんですか?なら納税証明書を送るので、はてなポイントでください。僕のこのエントリ「敗残兵から一言」にコメントしてくれた人、ブックマークしてくれた人、トラックバックを送ってくれた人全員に分配します*1。2回もエントリを書いてくれたid:kagamiさんには2倍送ります。その資金でソフトや本を買ってレビューしてもらいたいので。kagamiさんなら、danさんが絶対に読まないような本やゲームについてレビューしていただけるでしょう。「シゴフミ」も「狼と香辛料」もkagamiさんから教えてもらったから、レビューを期待です♪戦友のid:sync_syncさんには10倍送ります。当然です。

それが、人に身銭を切らせる時の貴方の作法なんですか?
しかし、幾ら相手が「君の年収分を賭けても良い」と言ったとはいえ、人に身銭を切らせる際に、この作法はどうなんだろう?浮かれるのは分かるし、自分のエントリを支持してくれた人にフィードバックをというのも分かる。分かるんだけど、まるっきし「言質をとったから金をくれ」じゃないですか。いや、これがまだ、1000円程度の贈与だというなら問題ないかもしれません。ですが、ここでやりとりの対象になっているのは、なんと驚くべきことに、reponさんの年収分だというじゃありませんか。年収分って言ったら安い金額じゃない。安くても百万以上の額でしょう。いくら言質をとったとはいえ、赤の他人に身銭を切れというにあたって、これは無いんじゃないですかね。

どう見てもバカなあいつのこと

『1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。』
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080109/1199875970

『「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方』
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080111/1200020891

あと、

『努力教とハゲタカ教と最善説』
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080112/p1

について。

世の中に関心を持つなという考え方がありがたがられるのは、もう、ちょっと個人的にダメです。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080112/p1

「全然違うよ」とまでは言わないけれど、上記2つのエントリはどちらも、誰かに対して悪い意味で関心を持つこと、誰かをダシにすることによって成立しているのではないかしら。id:fromdusktildawnの該当文章は「ほら、要領の悪いひとが居るじゃない(笑)本人は一生懸命マジメに努力してるつもりでいるんだけど、方向が全然見当違いでさ(笑)そりゃお前、努力って言わないだろ(笑)」的な嘲笑に支えられているし、id:guri_2のひとに関しても次のエントリーで

「自分はこういう人間だから」って、さらっと自分の性格を解説しつつすねたり、
さんざん自分語りしたあげく、「自分を認めてくれる人だけ認めてくれればいい。みんなに好かれようとは思わない」とか、
もう、わかって欲しいオーラ出しまくりながらひねくれるんじゃねーよ(笑)
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080110/1199971633

なんて書いている。いやアンタ、ダメだろそれ。


 毎日コツコツと頑張ることが重要だと考えた場合、「じゃあ、何を頑張ろう?」という問題がやってきます。近道を探す努力が重要と思ってみても「近道を探す能力を伸ばしたいのですが、その近道はどこですか?」的な堂々巡りがやってきて大惨事です。まったくもって面倒なことで、世の中は不確かさで一杯に思えてきます。でも、この不確かさの海の中にも確かなものがあるのではないでしょうか。何でしょう? そう、バカなあいつのことです。

  • 本人は一生懸命マジメに努力してるつもりだが、どう見ても間違った努力をしているために(笑)能率がまるで上がらないあいつ
  • わかって欲しいオーラがどう見ても出まくりなのに(笑)、それを絶対に認めようとせず、ひねくれた態度をとっているあいつ

 自分のことに比べて、あいつのバカさ加減はなんと自明に思えることでしょう! さらに言うならば、ある種の信念は、他人と自分との認識のギャップであったり、無知な他人が居るという信念だったりに支えられているのではないでしょうか。つまり、

  • どうしようもなくドンくさいひとが居るよね(笑)

と思うことによって、id:fromdusktildawnは「ハゲタカで大儲けするために、明日から近道探しをコツコツ頑張るぞー!」と自分に言い聞かせることができるのです。


 いや、それってどーなのさ。