敏腕ナイチンゲールさんのこと

ナイチンゲール曰く、「ホメオパシー療法は根本的な改善をもたらした」
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090810#p1

を、ちょっと前に読んだのですが、NATROMさんが挙げていた「看護覚え書―看護であること・看護でないこと」の訳で気になるところがあったので、元の"Notes on Nursing, Florence Nightingale" (Easy Read Edition)の136ページ*1を訳してみました。

NATROMさんのエントリーを読んで「皮肉屋ナイチンゲール」という人物像に大喜びしていたかたもいらっしゃるようです。1ページだけですが自分で訳してみての私の感想としては、たしかに皮肉っぽく見受けられるところもあるものの、基本的には平易かつ率直な口調で素晴らしいと思いました。皮肉で人の心を動かすには限界があることを考えると、改革者に対して「皮肉っぽい」というのは、あまり褒め言葉ではないようにも思います。

では以下、どうぞ。

I have known many ladies who, having once obtained a "blue pill" prescription from a physician, gave and took in as a common aperient two or three times a week - with what effect may be supposed. In one case I happened to be the person to inform the physician of it, who substituted for the prescription a comparatively harmless aperient pill. The lady came to me and complained that it "did not suit her half so well."
 医師からひとたび甘汞("blue pill")*2の処方薬を手に入れると、それを週に2、3回服用する日常的な下剤として互いに譲り合う、多くのご婦人がたのことを、わたしは知っています。あるケースでは、たまたま、わたしが医師にそのことを伝えたところ、医師は処方を比較的害の少ない下剤へと変更しました。そのご婦人はわたしのところに来て、その薬が「半分くらいしか効かないわ」と不平を言いました。

If women will take or give physic, by far the safest plan is to send for "the doctor" every time - for I have known ladies who both gave and took physic, who would not take the pains to learn the names of the commonest medicines, and confounded, e.g, colocynth with colchicum.
 女性が下剤を手に入れる際に、間違いなくもっとも安全なプランは毎回「医師」("the doctor")を呼び寄せることです。――わたしが知っている、下剤(physic)を互いに譲り合い、たとえばコロシントウリ(colocynth)やイヌサフラン(colchicum)といったもっとも日常的な薬の名前を学ぶ労を惜しみ、当惑してしまうご婦人がたにとっては。

This is playing with sharp-edged tools "with a vengeance." There are excellent women who will write to London to their physician that there is much sickness in their neighbourhood in the country, and ask for some prescription from him, which they used to like themselves, and then give it to all their friends and to all their poorer neighbours who will take it.
 これは、刃の鋭い道具を振り回して遊んでいるようなものです。ご立派な(excellent)女性たち――ロンドンにいる彼女らの医師に、自分の田舎の近所にはたくさんの病人がいるという手紙を書き、自分たちに処方してくれているのと同様の何らかの処方薬を出してくれるように依頼して、そして、友人たちや貧しい隣人たちすべてにその処方薬を与える女性たちがいます。

Now, instead of giving medicine, of which you cannot possibly know the exact and proper application, nor all its consequences, would it not be better if you were to persuade and help your poorer neighbours to remove the dung-hill from before the door, to put in a window which opens, or an Arnott's ventilator, or to cleanse and lime-wash the cottages? Of These things the benefits are sure. The benefits of the inexperienced administration of medicines are by no means so sure.
 貧しい隣人たちに薬を――正確で適切な薬の用量や、薬がもたらすすべての効果について、あなたがおそらく知ることができないような――を与えるのではなく、その代わりに、ドアの前からゴミの山(dung-hill)をどけることや、窓を開け放ったり、あるいはアーノット式換気装置を設置することや、住居を清潔にして石灰塗料を塗る(lime-wash)こと、といった事柄について彼らを促し、手助けするほうがよいのではないでしょうか。
 これらの事柄による利益は確かなものです。不慣れな薬の投与によって得られる利益は、けっして確かなものではないのです。

Homoepathy has introduced one essential amelioration in the practice of physic by amateur females; for its rules are excellent, its physicking comparatively harmless - the "globule" is the one grain of folly which appears to be necessary to make any good thing acceptable. Let then women, if they will give medicine, give homoeopathic medicine. It won't do any harm.
 ホメオパシーは素人の女性たちによる医術(physic)*3の実践に、ある本質的な改善をもたらしました。というのも、ホメオパシーのルールはご立派(excellent)なもので、その医術的な効果は比較的、当たり障りのない(harmless)ものだからです。――ホメオパシーの「丸薬」は、何であれ、善きことを受け入れられやすくするためには欠かせないように思われる、一粒の(= ささやかな)愚かしさなのです。
 それゆえ、女性たちが他人に薬を与えたがるのであれば、ホメオパシー的な薬を与えさせるようにすべきです。いかなる害ももたらさないであろうからです。

この"the "globule" is the one grain of folly which appears to be necessary to make any good thing acceptable. "という部分の既存の訳(『看護覚え書―看護であること・看護でないこと』では「その「丸薬」は、どうしても善行を施して満足したい人たちが必要とする一粒の愚行なのであろう。」)に疑問を持ったので自分で訳してみたのですが、「難しくてよくわかりませんでした」という感じです。
ただまあ、既存訳の「どうしても善行を施して満足したい人たち」というのは、誤訳とは言えないけれど、やや悪意のある意訳だなあと思います。

An almost universal error among women is the supposition that everybody must have the bowels opened once in every twenty-four hours, or must fly immediately to aperients. The reverse is the conclusion of experience. This is a doctor's subject, and I will no enter more into it; but will simply repeat, do not go on taking or giving to your children your abominable "courses of aperients" without calling in the doctor.
 女性たちの間でのほとんど普遍的な誤解とは、誰もが24時間に1回はお通じがなくてはならないと仮定することです。経験から得られた結論はその反対です。
 このことは医師の領分であるので、これ以上は立ち入りませんが、わたしは断固として繰り返しておきます。医師を呼ぶことなしに、あなたやあなたの子供たちに、おぞましい「下剤のフルコース」を与えることを続けてはなりません。

It is very seldom indeed, that by choosing your diet, you cannot regulate your own bowels; and every women may watch herself to know what kind of diet will do this; I have known difciency of meat produce constipation, quite as often as deficiency of vegetables;
 適切な食べ物を選んでも内臓の調子を整えることが出来ないことは非常にまれです。どのような種類の食事によって内臓の調子を整えることができるかを知るために、すべての女性は自分自身を観察することができます。野菜不足と同じくらいしばしば、肉を摂る量が少ないせいで便秘が起こることを、わたしは知っています。

*1:http://books.google.co.jp/books?id=CKRINihAKP0C&printsec=frontcover&dq=Notes+on+Nursing#v=onepage&q=&f=false

*2:塩化水銀(I) 『かつては下剤や利尿剤として利用されていたが、水銀中毒の危険があるために現在は使用されていない』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E5%8C%96%E6%B0%B4%E9%8A%80%28I%29

*3:physicには下剤という意味と、古語としての「医薬・医術」という意味があるらしく、この場合はどちらか分かりませんでした

僕には他人を観察してすぐに値踏みしたがる癖がある。子供の頃から父親や弟と自分がどっちが優れているかを何度も値踏みした。最終的には大差ないという結論をだした。
http://anond.hatelabo.jp/20090719134619

うん、まあ、その。↓これを思い出しました。

ただ、ぼくにはどうしても、他者に対して持ちたくない視点、というかある方向への視線、があって、それがどういった視線なのかというと、それはなかなかひとことで言えないし、きっと言葉にして発する事はないと思う。やさしくありたい、とかそういう風に思ったことは一度もないけれど、自分の持っている残酷さには徹頭徹尾自覚的でありたい。
「おいどんはただ生きているだけよ-平民新聞」(http://d.hatena.ne.jp/heimin/20080111/p1

twitterまとめっぽいやつ

isikeriasobiさんのことについてtwitterでつぶやいていたら言及されましたでござる。( http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20090703/1246575377 のコメント欄)
とりあえず、自分の「つぶやき」の中で関連するところを下にまとめておきました。あとでコメントを書く時間をとれるといいなあ。見落としなどあったら、指摘していただけると幸いです。
あ、忘れてた。古いメッセージが上になるように並べてます。

flurry いやまあ、いしけりあそび先生は「アカは口ばっかりだから嫌い」とか言っちゃいそうな古典的タイプに見えるので、一定以上に仲良くなることは望めないと思うんだ。 link
flurry 少し補足しますと、リベラルと左派との関係はややこしいので注意が必要だと思います。http://twitter.com/flurry/status/2262792418 link
flurry あと、「弱いものいじめと権力を憎む、マッチョで親分肌の個人主義者」が、流れ者の主人公のことを筋が通った男だと褒める一方で、革命家を「口だけのアカ」と罵る、というのはフィクションでよく出てくる場面ですね。 link
       
flurry あはは。>『お金もうけとラテンが好きなサヨクですが「はてサ」ではありません』 軽やかなレッテル貼りだなあ。 link
       
flurry ちょっと、これ、さすがにどうなの。http://h.hatena.ne.jp/isikeriasobi/9234088067773566645 link
flurry 「オレはずるく立ち回ってるよ」と公言してしまうことの問題点とか、ひょっとして分かってらっしゃらないのかなあ。 link
flurry 実務家(この言葉は「経営者」や「作家」と置き換えても構いません)は各々それぞれのかたちで実務家として機能しているのだけど、本人がそう思ってるポイントと、実際に機能しているやりかたは往々にして食い違うわけで。 link
flurry そこのギャップに耐えるために「オレはズルい/嘘つき/計算高い/見かけどおりじゃない」というオプションを採用しちゃうひとがいるよね、というのは、いつものわたくしのアレですが。そしてそのオプション自体に惹かれるひとがいたりするので、話はさらにややこしくなるのでした。 link
       
flurry うひょー!定番来ました! ……えーと、もうヤダよこれ。>「激怒しているときはたぶん一番冷静です」http://h.hatena.ne.jp/isikeriasobi/9234070499453367728 link

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090512/p2


どのようにお返事しようか、悩んでいるのですが。
それはそうと、なんとなくリンクを2つほど貼ってみます。ええ。

アルファブロガー小飼弾さん、ジジェクについて語る。

わーお。⇒http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51021534.html
そして、このタイミングなら言える! ジジェクのエッセイを勝手に訳したから、みんな読んで! 引用するときは、各センテンス頭のアンカーが便利だよ!
「ジャック・バウアーと緊急時の倫理」
「略奪や強姦を行っていると想定される誰か――ニューオーリンズにおける現実とファンタジー」
"You May!"


以上、宣伝でした。



ついでなので、お前は次に○○と言う!遊びのお時間。
僕は小飼さんが次に「中途半端にプラグマティズム分析哲学の話をし始める」に乗ります。「語りえぬものに……」とか言い出す可能性すらあるかも。
皆さんはどうですか?

「90億の神の御名」

僕にとってのクラーク作品と言うとこれ。小学生の頃に何かのアンソロジーで読んだと思う。どうしようもなく好き好き。

ところで、これの元ネタってハノイの塔だよねえ。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%A1%94#.E7.94.B1.E6.9D.A5 )もちろん計算量はまったく違うけど。

20世紀が終わってしまったとか言ってる暇があったら、計算機のアクセル踏んでブッ飛ばせ、ヒャッホー! という話なので、ある意味追悼にふさわしいのではないかしら。

ついでに石橋さんのこと。

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080311#p1
> 何となれば、国家も、宗教も、哲学も、文芸も、その他一切の人間の活動も、皆ただ人が人として生きるためにのみ存在するものである
文芸やアート以外に対してであれば俺も特に文句を言わずに受け入れて前提に出来るけど、文芸を含む創作全般に関しては、受け入れられない。
文芸を含む創作全般を、とりあえずアートと呼ぶことにする(俺は一貫してそう考えているが、そこの議論は別として)。
アートは、人が人として生きるために存在するわけではない。そもそもアートは、他の目的のための手段ではなく、それ自体が目的であり、アートの内輪の基準として言うなら、どのようなものであれ目的を押し付けられる筋合いなどない。

とてもリベラルな人だとは思うけど、彼はやっぱり政治家なのであって、ここでは政治家の望むアートの鋳型が提示されていて、あるべき自由なアートよりも、彼のアート像は窮屈で狭い。

石橋湛山については全然知らないのですが、「ただ人が人として生きる」という文章を読んで、いきなり「ここには『人とは何か』という確固とした概念が最初からある」と思ってしまうのはダメなんじゃないでしょうか。
とりあえず昔の文章を発掘しておきます。

この辺を真面目に考え始めると、何でも「可謬性としてのリベラリズム」とかがやってきて大惨事らしいです。助けて!大川先生!