D&DでSpellを事前準備するということ(ダイスとトランプ)

以前にべつの場所で書いた文章を思いだしたので置いてみます。 そして今ごろ気付いたんですけど、呪文を準備することを「記憶」と呼ぶのは巧みというか、いろいろと深読みできそうな感じですね。(2010/12/08)

 とりあえず、以下の文章はTRPGD&Dに関して知ってるひとじゃないと意味が良く分からないと思います、と前置きしておいて。

 今日はTRPGについての論考を書くという厨なことをしちゃいますよ。しかも最近全然遊んでないというのに。おまけに典型的な頭デッカチ文章ですよ。うわーい。 いつもの通り理屈の流れはグダグダですので、読みたいひとは各自補いつつ、気合で読んでください。

 別の場所でも書いたんだけど、D&D独特(なのかしら?)のスペル記憶システムというのは、ポーカーとかブラックジャックとか麻雀とかの手札を隠し持つゲームに似てる気がするとか、そういうところから思いついた話。

 ファンタジーRPGにおける魔法を巡る意見の一つに、「ゲームで描かれる魔法は完全にルールで規定されてしまっている。ミステリアスな部分が存在しないからつまらない」とか、そーゆーのがあります。
(ここでいう「ミステリアス」ってのは何なのかは非常に面倒な問題ですが、とりあえず、この問いと真正面から対決するつもりはありません)

 たとえばここで、じゃあ確率的に不確実性を増やせばミステリアス感は増えるかしらんと「魔法を使うときにはダイスを振る。高い可能性でファンブルが起きて、これまたランダムな副作用が起きる」なんてルールを用意したとしても、その確率もまたルールに書かれてしまっているわけです。実に難儀なことです。

 さて、D&Dのスペルにミステリアス性はあるんでしょうか。 D&Dのスペル記憶システムというのは、ダンジョンに潜る前にレパートリーの中から使うスペルを限定して選択することを担当プレイヤーに強います。一度選択してしまったら、基本的には街に戻って一日経過するまで選択のやり直しは出来ません。
 ここで「自分の記憶したスペルを他人に明かさない」という(暗黙の)ルールが加わると、どうなるか。ウィザードやクレリックのスペルを必要とする他のプレイヤーは「確証はないけれど、それでも彼を信頼する/せざるをえない」という境地を強いられます。「他人の心、他人の判断」という怖ろしくミステリアスなものがスペルの周りに漂い始めます。
 じゃあ、その一方でスペルを準備するプレイヤー本人はどうなんでしょう。確かに彼は自分の意志で、自分で決断してスペルの選択を行います。しかしその決断がなされるのはダンジョンに潜る当日の朝という「過去」だったりします。実際にスペルを使う状況において彼は「自らの選択/決断の大半を既に済ませてしまっている」という立場に置かれるのです。
 その意味で彼にとって、自分が記憶しているスペルは自分のものでありつつ、どこか自分のものではないような気がするのです。ミステリアスです。

(続く)←えー?

――という理屈が既にどこかで書かれている気がするんですが、不幸にして僕は見かけた記憶がありません。所在を知っている方は教えていただけると幸いです。

追記:
「ギャンブラーが主人公のマンガ(グルメ対決マンガでも可)では、クライマックスにおける主人公の行動が他人の目を通して描かれる」とか「物語において主人公と語り手が異なるのは、ごく普通のことだ」(つまり、語り手=傍観者=主人公では『ない!』)とか、そーいう話と繋げつつ、ウィザードが巧みにスペルを使う瞬間のその恍惚について書きたかったんですけど上手く行きませんでしたよ。

 あと、RPGを巡る論考で「意思/意志決定」とかゆーことを言いたがる人たちが居るそうなのですが、僕が言いたいのは、どっちかというと「既に決定されてしまっている」という話だったりもします。