ツイッター代わりのやつ(あとで消します)

私が書いてるのは「私はHPVワクチンの被害者のことを問題にしている。そのせいで反ワクチンの勢力が増えようが知ったことではない」なので、NATROMせんせいも「私は検診の害について問題にしている。それを主張することで有症状者が受診を躊躇おうが知ったことではない」と書けばいいだけなのでは。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/flurry/status/1148848391318724609

 

個々の患者にとっての利益と住民全体の利益は異なるとか、正義や公正の問題と「利益」もまた異なるとか、なんかそういうさー。もっと真面目にやってよねー。

 

すげえ。目からビームが出ている。おれの。

https://twitter.com/nnago/status/1148606846388834305

(お知らせ)ツイッターのアカウントにつきまして

現在アカウントがロックされておりまして問い合わせ中です。通報によるアカウント凍結とかではないですが、他の要素(たとえば反ワクチンだと読めるツイートをしたとか)との合わせ技という可能性は……その、どうなんでしょう……

たぶん最速で2日後くらいに戻ってくると思いますので、皆さまもお気になさらず。

『避難リスクは被曝リスクの何倍?』の比較は不適切です。

 id:tikani_nemuru_M氏の以下のエントリーですが、出どころ不明のデータを用いて不適切な比較を行っていると考えます。

『避難リスクは被曝リスクの何倍?』
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20110901/1314817487

1: 出どころ不明のデータ

 山下俊一氏がインタビューで述べたらしい「チェルノブイリでは避難住民の寿命が65歳から58歳に低下しました」という数字が正当かどうかですが、

>海外の専門家の目にもさらされる外国雑誌のインタビューだしにゃ

 そんなことを信頼性の根拠にされても困ります。具体的な数字の出どころを示してもらわないと。*1
……冒頭に結論を言ってしまいましたし、正直これだけで済ませたいのですが続けます。


2: 「避難住民の寿命が65歳から58歳に低下」について、もう少し

 何年から何年か、のデータかもわからない数字を元になにか言うのは辛いのですが、頑張って続けます。
 tikani_nemuru_M氏も大好きな疫学ですが、ある集団のなかでの数字だけ見るのではなく、他の集団と比較するのが大事であるようです。そこで、氏も以前のエントリーで挙げていたロシアの平均寿命推移を見てみましょう。

「図録▽ロシアの平均寿命の推移」( http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8985.html )から引用

 男性の平均寿命が「65歳から58歳に」とまったく同じと言っていいぐらいに下がっています。解説によると、チェルノブイリ事故のあとに起こったソ連崩壊による影響を受けているようです。
……あれ、避難者もソ連崩壊による影響を受けてるから、平均寿命の低下が避難によるものかどうか見るのって難しくね?*2


3: 不適切な比較

 tikani_nemuru_M氏は移住による環境変化などに伴うストレスと、放射線被曝について比較(らしきもの)をしています。居住し続けることによってもストレスの影響は受けるのですから、明らかにこれは不適切です。
 たとえば、避難しようとした人間に対して「逃げるのか!」と罵声を浴びせるような環境に住み続けることは普通に考えて苦痛でしょう。また、それ以前に、農家・畜産家の現在のストレスはどれほどでしょうか。
 比較するならば「移住したときと、そうでないとき」それぞれについて、各種リスクを列挙して、総計や分散、不確実性などについて検討するべきだと思います。*3もちろん移住については、国や自治体、その他の支援者による支援の程度によっても、ずいぶん値が変わってくるでしょう。


(追記)
コメントがある場合ですが、可能であればコメント欄やはてなブックマークではなくご自身のはてなダイアリーでお願いできればと思います。>id:tikani_nemuru_Mさん。

*1:「65歳から58歳に低下」の65歳というのは、当時のウクライナの平均余命から5歳程度低いもので、どう考えたものか困っています。

*2:tikani_nemuru_M氏は「ソ連崩壊も大きな社会変動、環境の変化を伴ったものであるからして、むしろ自分の主張を補強するものだ」とか言いそうですが。避難という枠組みを外してどうするんですかというか、原発事故の影響を受けている福島のひとたちは、今まさに社会変動、環境の変化のまっただ中にいるだろう、としか。次節の「そもそも、なにとなにを比較しているの?」という話にも繋がります。

*3:なお、はてなブックマークで氏は「居住ストレスは以前に触れている」と書いていますが、そうであるならば当然、今回の比較時に検討項目に含めるべきだと考えます。それを怠っている理由がわかりません。

無限責任あるいは、コップに水が半分(も/しか)入って(いる/いない)

これもツイッターから転載。

 安全ですと言っておいて、なにかあったら突然「なんにだってリスクはある。100%の安全は存在しない」と切り替えるとゆー。 http://twitter.com/sasakitoshinao/status/50323831499407360

 いい機会だから、一部のアレなひとが言ってる「サヨク無限責任を押しつけてる!」みたいな話をしましょうか。リスク論に絡めて。基本的には先ほどの佐々木俊尚氏の言動に示されるような「安全です or 何にでもリスクがある」を都合良く切り換える、みたいな話です。

 さて。「無限とは数学的に言うと……」みたいな話に真正面から突っ込むつもりはありません。どっちかというと、しりとり的な「無限の限とは、限界のことで。つまり量というよりも、限界面、境界線の話じゃね?」ってことです。あ、結論言っちゃった。

「水がコップに半分しか入ってないと考えるか、それとも半分も入ってると考えるか」って話がありますよね。せっかく自分が「半分も入ってる」ってポジティブシンキングした瞬間に、他人から「あ、半分しか入ってない」って言われるとイラッときたり。

 逆のケースもありそうです。私の知人に「絶望からはじめよう。キミには絶望が足りない」が口癖のひとがいます。私が「いや、そうは言ってもこういう良いところも」と返してると、ある日「キミの話を聞いてると、なんだかしらないけど落ち込んでくるんだよ!」って言われました。えっ、っていう。

 ここではおそらく、コップに水がどれだけ入っているかというよりも、そのコップの水面、境界線を「どのように領有するか」そして、境界線から相手をどのように突っつくか、が問題にされているのではないでしょうか。あんまり厳密には考えてませんけど。

 先ほどの「原発などのリスクについて『安全です or 何にでもリスクがある』を都合よく使い分ける」という構図を、歴史責任や途上国の搾取といった問題に適用してみましょう。「責任はない or 誰しも他人を犠牲にして生きている。反省するなら総懺悔」……なんか聞いたことがある感じですよね?

 余談ですが。サンデル先生が出すトロッコ問題などのパズルというのは、まさに「リスクや責任の境界線の上で踊ること、境界線の近くで他人を突っつくこと」半ばそれ自体が目的となっているような何かではないでしょうか。私にはそう思えるのです。

これからの(原発と)バナナの話をしよう。

ツイッターから転載。

唐突だけど、バナナの話をしよう。まず、この図を簡単に見てほしい。人間が、自然界にあるもの含め、さまざまな放射性物質から浴びてる放射線の量を図示してくれる。とてもわかりやすくて啓蒙的だ。
http://dnaimg.com/2011/03/20/radiation-chart/radiation_jp.png

そして、この図を見ると、人間のなかにあるカリウムという元素が結構な量の放射線を出していることがわかる。そして、(健康マニアは知ってるかもしれないけど)バナナにはたくさんカリウムが含まれてる。なるほどなるほど。へー。

ところで、この図の左上に文章が書いてある。「携帯電話の送信チップは放射線を出さずガンの原因にもならない。 ※もちろん携帯電話型バナナはこの限りではない」……このジョークはいったい何だろう?

このジョークは何だろう。この図表が意図している啓蒙に役にたっているんだろうか? 知っているひとがいたら、ぜひ教えてほしい。そして、啓蒙に役立つかどうかは僕は知らないけど、知っていることがある。「じゃあ、このジョークを外すよ」と言ったら、この図の書き手はひどく抵抗するということだ。

このジョークは、いったい何だろう? ……ひょっとしたら、気の早いモンティ・パイソンファンの人たちは「バナナを持って襲ってくる暴漢」の話を考えてるところかもしれないね。うん、もちろんキミたちこそが僕がバッシングしたい連中だ。

もちろん、キミたちは自分たちが不謹慎であると思っていて、そして、あらゆるイデオロギーを笑い飛ばすつもりでいる。ここで考えるべきは、まさにそのジョークとその形式こそがイデオロギーの核ではないかということだ。この図全体が、実はこのジョークに支えられているんだ。

こういったジョークの形をとったイデオロギーは、実のところ自覚するのが大変に難しいようだ。ただ、でも、考えてみてほしい。モンティ・パイソンが最初に放映されてから何年になる? あと、なんて言ったっけ、ゆうきまさみの写真部マンガが出版されてから何年経った?

東浩紀さん、疎開先の伊豆からニューヨークタイムズ紙に「日本人は惨禍に勇敢に立ち向かっている。日本人は自らを誇りに思っている」と寄稿

(3/18 翻訳を一部修正いたしました)
東浩紀さんが疎開*1から本日付のニューヨークタイムズ紙に寄稿した文章について、後半部分を訳しました。
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17azuma.html?_r=1&src=tptw

内容自体の酷さもありますが、とりあえず、いま言いたいこととしてはhokusyu82さんの以下のツイートに尽きます。

ぼくは逃げる逃げないは個人の立場と判断ですればいいと思うし「逃げろ」というのも「逃げるな」というのも今の東京ではちょっと変だと思う。でもその、だとしても(だとすれば)そんな文章書くなよと。せめて「日本の政府と人々は…勇敢に立ち向かっている。俺は伊豆に逃げた」って付け足してほしい
http://twitter.com/hokusyu82/status/48345586847580160

英語力がない上に、ほとんど辞書を引かずに訳したので誤訳などあると思います。指摘お願いできればと思います。


From the quakes to the tsunami to...


 地震から、津波、そして原発での事故に至る、すべての出来事の連鎖について、いまや私たちはみな知っている。そして、はっきりした予想や判断については待つ必要があるだろうが、地震から6日目の今日、ただひとつ言えることがある:日本人は自らの国家を、少なくともこの20〜30年よりも肯定的に見始めているのだ。

 第二次世界大戦での敗北以降、日本人は自らの国や政府に誇りを持つことがほとんど出来なかった不幸な人々である。これは、経済バブルが弾け、長きにわたる景気後退が続いたこの20年間にはとくに当てはまっている。首相が何度も交代し、政策が行き詰まり、政治的シニシズムが蔓延した。さらには、1995年の阪神大震災の後の政府の対応が無能であったため、人々からの強い批判が集まった。

 しかし今回、状況は異なっている。もちろん、マスメディアは容赦なく原子力事故および停電について、政府と電力会社を詰問している。その一方で支持の声はとても大きい。枝野幸男官房長官(救援活動に関する報道官だ)はインターネットのヒーローになった。また自衛隊の救援活動も賞賛された。

 私は日本人が「公共」("the public")についてこれほど考え議論するのを目にしたことがない。ほんの最近まで、日本人と日本政府は、優柔不断で利己的で、不満と些細な言い争いで混乱しているかに見えた。しかし今、彼らは以前とは別人であるかのように、一緒になって自らの国を果敢に守ろうとしている。若い世代の表現を借りるならば、日本人は完全に「キャラ」が変わったかに見える。

 奇妙なことに、日本人はいまや日本人であることに誇りを持っている。もちろん、この新しいキャラがどれほど望ましいものであるかは議論の余地がある。ナショナリズムに繋がりかねないからだ。すでにそのような懸念がウェブから立ち上りつつあるのを私は目にしている。にも関わらず、私はこの現象に一筋の希望の光を見いだすのだ。

 地震以前、日本は来るべき衰退について心配する気弱な国家であった。人々は国家に何も期待せず、世代を越えた相互扶助や地域コミュニティの信頼は崩壊しはじめていた。

 しかし、おそらく日本人は、新たな信頼で結ばれた社会を再建していくため、この惨禍の経験を用いることができるはずだ。多くの人々は自らの優柔不断な自己へと立ち戻ろうとするだろうが、こうした自分自身の(有害なシニシズムの中で麻痺していた)公共心と愛国心に溢れた面を見いだすという経験は、消え去るものではない。

 私は海外メディアが、日本人が災害に直面した際の冷静さと倫理的道徳的な(moral)態度について、驚きの声で報じているのを耳にした。しかし、実際にはそれは、日本人自身にとっても驚きだったのだ。「全力で取り組めばできるよ」「国全体がおしまいになるほどの状況じゃない」「「蓋を開けてみればオレたち、国民全体としては捨てたもんじゃないよな」これが、この数日の間、いささかの当惑と共に日本人が感じたものなのだ。

 私たちのこの感情はどこまで拡げることができるだろうか。一時的なものか、それとも社会へと拡げていけるものだろうか?私たちのこの感情は、時間的にそして社会的にどこまで拡げることができるだろうか。この問いの解答は、復興が成功するかどうかーー現在の災厄だけでなく、過去20年間続いた停滞と絶望からのーーによって示されるだろう。

【著者紹介】
東浩紀早稲田大学教授であり、「オタクーー日本のデータベース的動物」*2の著者である。この記事はShion KonoとJonathan E. Abelによって日本語から翻訳された。

(翻訳)アメリカ陸軍における「起きていることはすべて正しい」

うんまあ、タイトルで釣る、みたいなことを一度やってみたかったのです。

戦争に行って実りある人生を・・・米陸軍が戦闘体験のポジティブ効果に注目、自己啓発活動としての兵役を呼びかけ。(ジョークじゃないよ)http://www.armytimes.com/news/2009/10/ap_combat_positive_effects_research_101909/
http://twitter.com/gloomynews/status/5029696216

というのを見かけたので、読むついでに適当に訳してみましたよ。読んでみての感想は「これはひどい」ということで。
あ、「自己啓発活動としての兵役を呼びかけ」なんてことは書いてなかったので、上の惹句は不適切だ、ということは言っておきます。
ではどうぞ。

http://www.armytimes.com/news/2009/10/ap_combat_positive_effects_research_101909/
「戦闘のポジティブな効果が検討される――何人かの兵士は従軍して自分が成長したと感じる――」
グレッグ・ゾロヤ(USAトゥデイ紙)2009年10月20日


アフガニスタン、ワルダック地方(WARDAK)――グレゴリー・フリッケン(Gregory Frikken)曹長は、イラクアフガニスタンでの3回の遠征は家族と過ごす貴重な時間を彼から奪ったが、彼を変えてくれた――いくつかの点で良い方向に――と言います。
 個人的な強さの感覚、人生に対する感謝、家族への愛情が高まったと、ここで戦っている第10山岳師団*1の支援砲火(artillery fire)を指揮している39歳のフリッケン曹長は言います。「戦闘を経験する以前の私とは、同じ人間ではないのです」


 フリッケン曹長のような兵士たちに起きたことを見て、陸軍の指揮官たちは、GI(米兵士の俗語)たちが自らの内奥を見つめ、戦闘がどのように自らを感情的により強固にしたかを発見することを促すという回復プログラムを作成することになりました。
 研究によると、多くの人々は外傷的な経験から大きな自信や、鋭敏な思いやりの感覚、人生への感謝といったものを携えて浮上する(emerge)ことができる。そのように、ロンダ・コーナム(Rhonda Cornum)准将――陸軍の包括的な兵士適応プログラムの責任者――は言います。コーナム准将や他の専門家はこの概念を『トラウマ(心的外傷)後の成長』(post-traumatic growth)と呼んでいます。
 戦闘においてメンタルヘルスの状態を向上させる部隊に軍部は注目しているものの、コーナム准将は、退役軍人の大多数は心的外傷後ストレス障害PTSD)やその他の問題で傷つくことはないと言います。
「我々は誰かが何らかのポジティブな成果を得たかどうか質問することは決してありません。我々はこの病気の長いリストについて質問するのみなのです」と、戦闘地域から兵士たちが帰還した際に直面する、健康に関する質問の集中砲火に言及しながらコーナム准将は言います。
 しばしば彼女は、湾岸戦争で捕虜となった自らの経験について暗に示しています、(それとなく)言及しています。1991年、陸軍大尉で航空医官であったコーナムは、イラクで撃墜されたブラックホークヘリコプターに搭乗していました。7人の兵士のうちの5人が死亡しました。両腕を骨折し肩に銃弾を受けたコーナムは、他の2人の兵士とともに捕虜となり8日間拘留されました。*2
 彼女の目標は、兵士たちが戦闘から復帰した3〜6ヵ月後に渡される健康問診票に、トラウマ的成長(traumatic growth*3についての自己評価の項目を含めることです。彼女はまた、イラクアフガニスタンに配備されるGIたちに対して、配備の前後にある準備期間に、戦闘を生き延びたあとで自らの生き方がどのようにより良く変わったかを述べる兵士たちを撮った短いビデオ番組を見せることを含めたいと考えています。
 1年以内に新しいツールを実施することが可能になるだろうとコーナム准将は述べています。


『トラウマ後の成長』の専門家であるノースカロライナ大学シャーロット校のリチャード・テデスチテデスキ(Richard Tedeschi)は、陸軍と共同のプロジェクトを行っています。彼はこの取り組みを「未知の領域」であると呼びますが、この研究によって、兵士が戦闘経験から価値を見出していることが示唆されていると言います。もし、基礎的な訓練の最初に『トラウマ後の成長』の可能性について伝えられていれば、「戦闘経験はPTSDを引き起こし、自分をダメにしてしまう」と兵士たちが反射的に思い込んでしまうことはなくなるだろう、とテデスキは言います。
 テデスキは最近のワシントンのアメリカ公共政策研究所*4での発言において、何人かの軍人たちは戦闘のあとで彼らの人生がとても深く変わってしまったと感じており、彼らが経験してきたことに対して感謝を示している――たとえ、その代償が、身体への永続的な損傷だったとしても――と述べています。
「彼らは、戦闘以外では成しえなかったような形で自らが変わったと感じています」とテデスキは言います。「このトラウマは彼らを他の人々から切り離してしまいますが、同時に、自分が以前よりも人間的であり、人間であることの意味と深く結びついていると自らをみなすことを、おそらくは可能にするのです」


 結婚して3人の子どもがいるフリッケン曹長は、ここの空挺前線基地(Forward Operating Base Airborne)から任務に向かいます。彼は、累計で33ヶ月近いイラクアフガニスタンでの戦闘について「毎日が人生最後の日であるかのように生きることを実感させてくれます。何ごとも与えられて当然のことだとは、私は思っていません」と言います。
 テデスキは、この経験は生存者サバイバー*5たちに「『私は何者なのだろう?私の人生の目的とは何だろう?』ということを解き明かそうとする」ことを強いると言います。「私たちは、ひとびとがこの方向に進むことを支援する方法を見つけたいと考えています。なぜなら、それが、このトラウマによる情動(affects)を和らげる方法なのですから」
 テデスキは彼の概念が論議の的になるものであることを認めています。
 コネチカット大学教授の臨床心理学者ハワード・テネン(Howard Tennen)は、『トラウマ後の成長』は何人かの人々には起こるかもしれないが、それを測定することは難しいと述べます。成長の感覚を促進することがポジティブな結果につながるという考えを支持する証拠は存在していないと、彼は言います。
 この概念には説得力があると感じている、とコーナム准将は言います。
「私たち*6は悪いことが起こることを望んでいるわけではありません」と彼女は言います。「しかし、もし、不運な環境から何かを学ぶ機会が存在するのであれば、私たちはその機会を確実に活用したいのです」

*1:Wikipedia:第10山岳師団 (アメリカ軍)

*2:このことについて本を書いたそうな。『イラク軍に囚われて―米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語』http://www.amazon.co.jp/dp/4163470506/

*3:前に出てくるpost-traumatic growthとどう違うかは不明。誤りでpostが抜け落ちただけなのかも。

*4:the American Enterprise Institute 略称:AEI。共和党系、保守系シンクタンクだそうな。1943年設立。

*5:原文ではsurvivor。ここでは単なる戦闘の生存者ではなく、児童虐待や性暴力、ドメスティックバイオレンスなどの被害者のことをサバイバーと呼ぶのと、おそらくは同じ使いかたをしていると思われる。たとえばサバイバーとは - はてなキーワードなどを参照。『かつては暴力被害者を「犠牲者:victim」とよんでいた。サバイバーという言葉は、無力でかわいそうな「犠牲者」ではなく、過酷な暴力をさまざまな努力をして生きのびた人として、「被害者」の回復の視点から「被害者」をとらえなおした言葉』

*6:ここでの"We"が曲者かもしれません。コーナム准将が「私たち」というとき、それは、彼女も含めたサバイバーたちのことなのか/それとも、彼女が指導部の一員として関与しているアメリカ軍のことなのか。そこの二重性。