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”Jack Bauer and the Ethics of Urgency”

■Jack Bauer and the Ethics of Urgency ジャック・バウアーと緊急時の倫理 スラヴォイ・ジジェク 2006年1月27日 http://www.inthesetimes.com/site/main/article/2481/(訳注:以下の文章は、テレビドラマ「24」シリーズについての広範囲にわたるネタバレを…

■ 驚異的な成功を収めた米FOX製作のテレビ・シリーズ「24」の第5シーズン第1回が2006年1月15日に放映された。1時間のエピソード24回からなるこのドラマは、ロサンゼルスに拠点を置く架空のテロ対策組織(CTU)が破壊的テロ活動を阻止せんと必死に取り組む…

■ コマーシャルさえもこの緊迫感に貢献している。コマーシャルの前に我々は、ドラマの場面内にあるデジタル時計の数字が「7:46」であるのを見る。番組が再開されたとき、その数字は「7:51」となっている。我々視聴者にとっての実時間における番組中断と正確…

■ このことは重要な疑問をもたらす。緊迫感が全体に拡がっていくこの感覚は、倫理的には何を意味するのだろうか? 事件の切迫感は圧倒的であり賭けられたものがあまりに大きいため、通常の倫理的な配慮は一時停止することを余儀なくされてしまう。結局のとこ…

■ CTUのエージェントは法律の外の薄暗い舞台で行動し、テロリストの脅威から社会を救うために「単にやらなければならない」ことを行う。捕らえたテロリストを拷問するだけではなく、テロリストとの関連が疑われるCTUのメンバーやメンバーの近親者に対して拷…

■ キーファー・サザーランドによって演じられる特別捜査官ジャック・バウアーは、この態度をもっとも純粋な形で体現している。疑念無しに彼は他人を拷問し、また、上司が彼の人生を危地に追いやることを許可する。 第4シーズンの終盤、中国の外交官を殺害し…

■「テロとの戦い*1」においては、テロリストだけでなくCTUのエージェントも哲学者のジョルジョ・アガンベンがホモ・サケル(homini sacer)と呼ぶもの――彼らを殺しても処罰されないような、法律的にはもはや人間と扱われないものたち――になる。エージェント…

■ ここにおいて我々はこのドラマシリーズの根本的なイデオロギー的虚偽に直面する。自己を道具化する、この徹底して非情な態度にも関わらず、CTUのエージェント――とりわけジャック――は「普通」の人々が通常感じるであろう感情的なジレンマに囚われてしまうよ…

■ したがって「24」を、合衆国がテロとの戦いで用いている、問題のあるやりかたをポップカルチャー的に正当化するものだとして単純に退けるわけにはいかない。なぜなら、それよりもっと大きなものが問題となっているからだ。 フランシス・フォード・コッポラ…

■ このことは権力者にとってのジレンマである。どうすればカーツ大佐を、彼の病理抜きに得ることが出来るだろうか?どのようにすれば人々を怪物に変えること無しに、必要な汚れ仕事をさせることが出来るだろうか? ナチスのSS長官であったハインリッヒ・ヒム…

■「イェルサレムのアイヒマン」においてハンナ・アーレントは、ナチスの処刑者たちが自らの恐るべき行為に耐えた方法を正確に説明した。彼らのほとんどは全然邪悪ではなかった。彼らは自らの行動が犠牲者に屈辱や苦しみや死をもたらすことを知っていた。この…

■ 更なる「倫理的問題」がヒムラーには存在した。どのようにすれば、これらの恐るべき行為を行ったSSの処刑者たちが人間的で尊厳を保持したままでいることができるだろうか? ヒムラーの解答はバガヴァッド・ギーター*1(彼は革張りの特別版を常にポケットに…

■ これらのことは「24」における虚偽にも当てはまる。登場人物たちは恐るべき行為を成し遂げながらも人間の尊厳を保持することが可能だとされる。そしてまた、誠実な性格の登場人物が恐るべき行為を重大な職務として行うことで、悲劇的かつ倫理的な崇高さが…

■ では、拷問に関する懸念や重箱の隅をつつくような差異で拷問を区別しようとすることに対する、以下の回答――人気があり表面的には説得力のある――についてはどうであろうか。 「何を空騒ぎしているんだい? たった今、合衆国が拷問を行うことを公認したって…

■「語る内容」と「語るという行為」との間に存在する、解消できない裂け目――たとえば「あなたはそのように語るけれど、でも、『なぜ』あなたはそのことを公然と私に語るのだろうか?」のような――は、人間の発話に内在しているものである。 たとえば我々は皆…

■ 同じことが、最近、政府が拷問を行っていることを公認したことにも当てはまる。ディック・チェイニーが拷問の必要性についての猥褻な声明を行うとき、我々は問うべきであろう。 「なぜあなたはそれを公言するのか?」 まさにそれこそが我々が為すべき質問…