これらのことは「24」における虚偽にも当てはまる。登場人物たちは恐るべき行為を成し遂げながらも人間の尊厳を保持することが可能だとされる。そしてまた、誠実な性格の登場人物が恐るべき行為を重大な職務として行うことで、悲劇的かつ倫理的な崇高さが彼に付与されるのだ。
 しかし、そのような距離が本当に可能だとしたらどうであろうか?
 ある人が、仕事の一部として恐るべき行為を行いながらも、プライベートでは愛すべき夫や良い親や思いやりのある友人であることが可能だとしたら、それは一体どういうことなのだろうか? アーレントが知っていたように、そのような行為を行いながらも正常さを保持することが出来ることで彼らが免罪されることはない。それどころか、まさにその事実こそが登場人物たちが道徳的なカタストロフ状態にあることの最終的な確証なのだ。