「語る内容」と「語るという行為」との間に存在する、解消できない裂け目――たとえば「あなたはそのように語るけれど、でも、『なぜ』あなたはそのことを公然と私に語るのだろうか?」のような――は、人間の発話に内在しているものである。
 たとえば我々は皆、知人の話が退屈でバカバカしいことを婉曲に伝えるために「それってとても興味深いね」(“That was very interesting.” )という言い回しを用いることができることを知っている。もしその代わりに「退屈でバカバカしいよ」と公然と知人に語ったとしたら、彼は驚愕するだろう。何かを公言するという行為は決して中立なものではない。語るという行為は語った内容それ自体に影響を及ぼすのだ。