(無題)

 えー、既存の翻訳*1でこの作品を読まれたひとも多いのではないでしょうか。わざわざ僕の拙い英語で新たに訳してみた理由は色々あるんですが、幾つか。
 ひとつには、原文を読んだときに受けた僕の印象が浅倉訳とは大きく異なっていたとゆーのがあります。浅倉訳はどちらかというと一本調子なんですが、僕の感じた「語り手」というのは、フランクな、時にぶっきらぼうな調子で語っているふりをしつつ、どこか纏わり付くような粘っこさで聴き手に媚びを売るような感じなのでした。
(ちなみに、滞米経験のある知人によると、原文の語り口は「大衆に人気のある、キリスト教のポピュラー説教師」*2に似ているそうですよ)

 そして、もうひとつ。僕はこの作品を「主体化のプロセス」(←難しい言葉を使ってるときは自分でも良く分かってないときです)とか、その手の関連で捉えています。そこで、僕自身が普段使っている口調に近い調子で訳すことによって、「語り手」の立場を僕自身が引き受けてみるということを試みてみました。悲惨な部分の文章を訳しているときには、最初は不快だったのですが、次第に「邪悪な愉しみ」を感じるようになってきたのが面白かったです。「こんなこと書いたら、読むひとはイヤな気分になるだろうな。ひひひ」てな具合に。

 あと、訳に関することを幾つか。

  • 原文は、だらだらと文章が続いて段落変えが少ないです。でもそれだと読みづらいので、勝手に段落を変えています。
  • 一人称に関しては意識して多めに訳しました。語り手の存在を比較的前面に押し出したかったというのがあります。
  • 原文としては、ネットに転がってた(http://home.earthlink.net/~jcorbally/eng218/rleguinn.html)を使いました。信頼できないこと、おびただしいですね。ちゃんと原典に当たれよ>俺。

 最後に。先に挙げた知人のかたに、お忙しい中を訳文をチェックして手を加えていただきました。ありがとです。言うまでもないですが(たぶん多数残ってる)誤訳に関しては、悪いのは僕でございます。

*1:「風の十二方位」(ハヤカワ文庫SF)、浅倉久志訳。

*2:ケーブルテレビとかで説教したりするやつ。