養老先生の話について言えば、そもそも2時間の講演を、

        • -

「これからはマニュアルなき時代であるから、自分で判断してゆかなければならないのです」ということを先生が2時間講演された。

        • -

って要約しちゃって良いのかってのがあって。養老先生の語りに長時間にわたって身を浸す行為それ自体と、「自分で考える」こととの間には深い関係があるように思う。
 (たとえば)要約不可能な存在としての「自分」ってのがあって、そして向こうに、要約不可能な言葉の代表格としての「物語/語ること」があるということ。
 ただ、たとえばこういった問題系を「物語」で代表して良いのか、それに問題は無いのか、ってことはあって、その点を少し考えてたり。