http://d.hatena.ne.jp/sayume/20040912

 ところでマシュウお兄ちゃんがよくわからないというとき、本当にわかっていないのか、わかりたくないだけなのか、わからないことがあります。
「わかりたくないだけ」って面白い言葉ですにゃあ。「分かってるはずなのに、その理屈がもたらす帰結が自分にとって耐え難いがゆえに、分からないふりをしてる」ってこと?
 あはは、馬鹿なこと言ってんじゃないよ。

「要約しちゃって良いのかってのがあって」という疑問を抱いたあなたが、「一つの言葉ではなく、文章で置き換えてみては?」と言う。あなたは後者に前者と同じ疑問を抱かないのですか?
 ん?「同じ」ではないけど、形式が類似の疑問だったら頻繁に抱きますよ?「同じ質問」というのは完全に同一の対象に向けられるものですし、だから当然、解答も同一ですよね。

なぜこの疑問をわたしが持つかといえば、元のわたしの文にも書かれているように、文章にしろ単語(言葉と言うとややこしいので)にしろ、どっちにしろ置き換えに過ぎない現象であるはずなのに、片方に疑問を抱き、もう片方を推してきたからです。
 はあ。以前から「どっちにしろ○○にすぎないのに」って言い方って面白いなと思いながら読んでおりました。むしろこの言い方こそが、みつき先生にとって同一性を支える基盤にあるように僕には見えます。
 ところでその置き換えとかゆーのは、置き換え前のものを保存しておいて再び別の方式で置き換えなおすってことはできるんでしょうか。

そして、疑問を抱かない理由として「文章」の持つ「情報量」だか「情感」だか「強さ」だか、なんらかの意味や価値を「一つの言葉」より大きく見ているケースが想定できる。だけれど、そんなに安直だとも思えないから「考えてるわけではないでしょう?」と言った上で、内容説明(の最初の部分と結果部分)をしているわけです。
 んー。話が進まないのもアレなので先に行きましょう。両者の違いは、言葉ネットワークの開放性(←適当な物言いですんません)とかそんな感じの問題じゃないですかね。我ながら安直ですが。
 本来異なった思考を繋げる(リンクする?)ことで妄想を脹らませる可能性を持つものとして、みつき先生がマジックワード的なものについて語ったのも、そういう話なのだと思うのですが。
 んで、僕はそのマジックワードの可能性をあんまり信じていない。あるジレンマを核に凝固しているマジックワード(「ダメ」とかまさにそんな感じ)が拡散し形を変えたとしても、中核にあるジレンマからは逃れられないし限界があると思ってる。文脈を前提としないリンクとやら(←書いてても何のことやら良く分かってないんだけど)は、実際には何らかの文脈を隠蔽している機能というのが大きいのではなかろーか。

「どうして同じなのかわからない」ならそう聞けばいいのに。と思わなくもないです。(あなたの)この文章は、「どうして」を聞く前に「それが視点の違いによる」ことを前提にしてしまっているように思います。そのうえ「相手の視点」のみを問い、自分の視点について何も話そうとしていません。少なくともそう見えるのですがあってますかね?
 いやその。これは僕にとっては、みつき先生とのやり取り以前から考えてた一般的な話なわけで。みつき先生一人に訊ねてもねえ? で参考までに「どうして同じなのか分からない」ので教えていただけますか。
 同一性や類似性の判断と、それを支える視点の存在とは、お互いがお互いを生むトリとタマゴのよーなものなのかもしれません。互いが互いに対してメタに立つような。でも、両者が完全に循環的な関係にあるかというと多分違う。むしろ、メタを積み上げていった結果、天辺が見えなくなって、そうしたときに、天空からの視点だかカテゴリーだが生まれるような感じ。

(あなたにとって)結果的に導き出すものが、「あなたの視点」と「わたしの視点」の「比較」である以上(もちろん、絶対的な視点を論じることができるというのならそれはそれで構いませんが)、あなたがその比較に必要なテーブルを先に用意するべきだと思うのです。
 えーと、あなたの視点とわたしの視点の比較をしたいんですかね、俺。
 以前から書いてるように「わたしのなかにありつつ、わたしのものではない絶対的な視点」とかそんなのが生まれる過程に関して興味があるわけですが、それは結局「あなたの中の絶対的な視点」と「わたしの中の絶対的な視点」とを比較することになってしまうんだろーか。自分でも良く分からない。

AならBと言っているだけなので、Aでないなら無視できる内容です。話の仕方のズレこそあれど、そういう意味のズレはありません。
 はあ。みつき先生の言葉は何を言ってるのか分からないので、「Aでないなら無視できる」なんてことをするのも大変なんですよ。

「人間は言語でしか思考できない」とかいってるヤツらは大抵アホだと思っています。と、ほんとに余談。
 あー、僕は「自分は言語では思考していない」なんて言ってしまうひとのことを、たまにアホだと思ったりします。自分も含まれてしまいそうなのが怖ろしいのですが。余談ね。

 ちょっと余談。ここでわしが「どこが物理的なんでしょう? わたしにはそれがわかりません」と答えると、マシュウおにいちゃんと同じ類の回答になると思っています。実際「嘘にならない程度には正しい解答」なので。
 僕自身の考えるところだと、僕ならそこで「物理的ってどういう意味ですか?」っていう訊ね方をすると思いますけど。んで、それを読んだ(もう一人の)僕は、他に適切な言葉が思いつかず仕方なく「物理的」って書いたんだけどなーと思いながら頭をかきむしり、客観性がどーだの実体性がどーだのと、もごもご悩むんだと思います。

マシュウお兄ちゃんはダブルミーニングっぽいものをみかけると思考停止するのは悪い癖だと思います。わざとやってるんでしょうけれども。
 いやその。ダブルミーニング以前に、この文章って何が書いてるのか単に分からなかっただけで。あんまりに分からなかったから、ギャラリーやってる知人に「これ何て書いてあるの?」って素で尋ねてました。今回の説明でやっと少しは分かりましたよ。んで、どこがダブルミーニングなんですか? みつき先生の文章からでは良く分からない。
 最初みつき先生が、僕には再発見が必要うんぬん言ってたときに、再発見って「かつて自明のものとしていたのに、現在は見失ってしまっている何かを取り戻す」って意味合いだと僕は思ってたんだけど、それで良いのかしらん。すると、この場合のダブルミーニングってのは「新たなものを発見する/失ってしまっている何かを取り戻す」ってことなのかしら。
 ところで、ダブルミーニングダブルバインドなものというのは、僕が考えてる相手だったりするので、そこで思考停止とか言われると泣けます。