そして、まったく同じことが、ニューオーリンズの略奪にも当てはまる。たとえ暴力や強姦についての「全ての」噂が実際に真実であることがわかったとしても、彼らを取り巻く噂はまだ「病理的」であり人種差別的なものだ。なぜから、これらのストーリーを動機付けたものは、事実ではなく人種差別的な偏見――「見てごらん、黒人は本当はこのような、文明の薄い皮を被っただけの狂暴な野蛮人なんだ!」と言うことが出来た人々が感じた満足感――であるからだ。
 別の言葉で言うなら、我々が取り扱おうとしているものは「真実の装いで虚偽を伝える*1」ことである。たとえ言っていることが実際に真実であるとしても、それを言わせる動機は間違ったものなのだ。

*1:訳注:良くある慣用句としての「虚偽の装いで真実を伝える」(ウソの中に真実が含まれる)を引っくり返している。