Slavoj Zizek ”You May!”(その19)

(Although submission within a lesbian sado-masochistic relationship and the submission of an individual to a fundamental religious or ethnic belief are both generated by modern reflexivisation, ……)
 レズビアンにおけるサドマゾ的な関係と、宗教的あるいは民族的な原理主義への服従は、どちらも現代における再帰化によって生じたものであるが、両者のリビドー的経済は全く異なっている。
 レズビアンの主人/奴隷関係は演劇的な上演であって、明示的な規則と自由参加的な契約に基づいている。この関係はそれ自体で、潜在的には非常に解放的なものである。*1対照的に、民族あるいは宗教への原理主義者の帰依は、いかなる形においても同意の可能性を否定する。『全体主義的な』政治コミュニティにおいては人々は実際に服従関係にあるが、サドマゾ的関係においては服従関係は単に楽しまれているに過ぎない、ということではない。おそらく本当は正反対なのである。
 サドマゾ的な契約においては、パフォーマンスは明らかに本気で演じられるものである。一方、狂信的帰依の仮面をまとった全体主義服従関係は、究極的には「ふりをする」(フェイク)ものであり、見た目とは正反対のものなのである。全体主義的な「主人」と超自我の『楽しめ!』という命令との間にある繋がりが、全体主義的な服従関係が「ふりをする」ことであるのを明らかにしてくれる。

*1:訳者の非常に個人的なコメント:「解放的」とか書かれていると(原文だと"As such, it has a tremendous liberating potential.")、何だか「レズビアンの主人/奴隷関係は正義!」という風に読んでしまうひともいるかもしれませんね。でも、事態はそれほど単純ではないと思うですよ。