Slavoj Zizek ”You May!”(その20)

(A good illustration of the way the 'totalitarian' master operates is provided by the logo on the wrapper around German fat-free salami.……)
全体主義』的な主人がどのように作用するかを示す良い具体例としては、ドイツ製の無脂肪サラミの包装紙に書かれているロゴがある。"Du darfst!" ――つまりこうだ。『あなたは、そうしてもよい!』("You May!")
 新原理主義(the new fundamentalisms)は、リベラルな後期資本主義に伴う行き過ぎた自由がもたらす不安に対する反動ではない。これらの原理主義は、寛大さであふれている社会において強い禁止を提供してくれるわけではないのだ。「自由からの逃走」を行うための避難所としての全体主義という決まり文句は、非常に誤解を招きかねない。また、これらの原理主義に対する説明は、標準的なフロイトマルクス主義的理論――全体主義ファシズム)政権のリビドー的な基礎は、服従の中に満足感を得る『権威主義的パーソナリティ』にある――によってなされるわけでもない。
 表面的には全体主義的主人も、楽しみを捨てより高次の目的のために犠牲になることを我々に強いるような厳しい命令を出す。しかしながら、間接的に識別できる彼の実際的な命令は、我々に(道徳的規範に対する)自発的な違反を呼びかけることなのだ。
 従うべき強固な規範を我々に押しつけるどころか、反対に、全体主義的な主人は(道徳的な)処罰を宙吊りにする。彼の秘密の命令は『あなたは○○してもよい』というものだ。全体主義的な主人は我々に告げる――社会生活を整え最小限の品位を保証するような禁止は価値が無いものであり、一般人を遠ざけておくための単なるからくりにすぎない。他方で我々は、主人に従う限りにおいて好きなことは何でもできるのだ。殺すことも、レイプすることも、略奪することも(フランクフルト学派はrepressive desublimation*1に関する理論において、全体主義のこの重要な特徴を見抜いていた)
 主人に服従することで日常的な道徳規則を破ることが許可される。あなたが夢見ていた全てのよこしまなもの(dirty)、あなたが伝統的・父権的・象徴的な法に服従していたときに捨てなければならなかった全てのものに対して、あなたは一切の罰則無しに耽溺することができるのである。それはちょうど、あなたが健康に対する一切の被害無しに無脂肪サラミを食べても良いのと同様である。

*1:「抑圧的反昇華」とか?