Slavoj Zizek ”You May!”(その21)

(The same underlying suspension of moral prohibitions is characteristic of Post-Modern nationalism. ……)
 同様の、内に潜む「道徳的禁止の宙吊り(suspension)」はポストモダンにおけるナショナリズムの特徴である。混乱し世俗的なグローバル社会においては、民族への熱狂的な同一化によって確固とした価値観が取り戻されているという決まり文句は引っくり返さなければならない。実際には、ナショナリズム原理主義は(みえみえに隠された)『あなたは〜してもよい』として機能しているからである。
 我々のポストモダン再帰的な社会は一見したところ快楽主義的で寛容だが、実際には我々の良き生(well-being)に寄与するためのルールや規範(喫煙や食べ物、セクシャル・ハラスメントに対する規制)で一杯である。
 民族への熱狂的な同一化は我々を拘束するわけではない。それは『そうしてもよい』という解放的な呼びかけなのだ。あなたはリベラルで寛容な社会における平和的共存のための厳しい法規に違反してもよい。あなたは望むものは何であれ飲んでも食べてもよいし、「政治的な適切さ」によって禁止されていることを言ってもよい。憎んでも、戦っても、殺しても、レイプしてもよい。この種の擬似的な解放を提供することによって、超自我は社会−象徴的な法の明示的な構造を補っているのである。