以下は、7月27日に追記ー。


http://d.hatena.ne.jp/sayume/20040722#p2
 マシュウおにいちゃんに何かを言われるとタチの悪い罠じゃないかと疑ってしまう罠。
 それはともかくとして、おもしろさの一端は単項で答えを出さないところ(というか複項の連結具合)にあって、アレさの一端は答えを出す気がなさそうなところにあるんじゃないかしらとかなんとか。あるいは思考停止かはたまたるさんちまんか。もしかすると不本意なのかも。
 あわわわわ。ひょっとして、これは悪質な営業妨害というものではないかしら。だって「タチの悪い罠」を仕込んでいるひとの文章に誰がコメントしたいと思うでしょうか。ぐっすし。そして、「あのひとは罠を仕込んでいるらしい」という評判がやっかいなのは、当人が「いや、罠なんか無いですよ?」と言っても、どうにも信じてもらえないところにあるわけで。
 僕としては、罠を仕込んでいるとしたら、もっと早いタイミングで返事を返している(罠を発動させている)と思うんですけどねえ。

 そしてもうひとつ。「答えを出す気がなさそうな」ですって。まあ、失敬な! 答えを出す気はありますよ。もちろん。でも、時間が無いので、答えは以下次号ってことで(←えー?)。

 たとえばこういう場合、つい、

・「答え」って、いったい何?
・じゃあ「答え」を言いましょう。ところで、どういう「答え」がご希望ですか?

とか言いたくなるんだけど、これだけで終わるとイヤ中学生のイヤ台詞になってしまうから、もう少し付け加えてみる。

α)僕の文章もまた、「外部のヒトを内側に引き込む」ことを目的としている文章芸だったりするのだろうか。芸だとしたら、みつきさんが僕の文章を読んで「おお、マシュウが答えを出している」と思うとき、それは芸的にはどういう状態を表しているのだろうか?
β)僕が「△△△がムカつく」と書くとき、僕はすでに「○○である」と「○○であらねばならない」との緊張関係に巻き込まれている気がする。この緊張関係のなかに「答え」は、どのように位置づけられるのだろうか?

 これは、みつきさんへの宿題ってことで(←ええー?)。電波びびび。