http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20050105

つまり、純粋化戦略は、「自分たちはあいつらとは違う」と言い、混沌化戦略は「一般人だって俺らと同じだ」と言うのである。
 ありふれたことを言うと「あいつら」とか「一般人」とかいう用語が曲者だったりするわけで。∀や∃の国へようこそ。純粋化戦略と混沌化戦略を混合すると「一般人だって俺らと同じだが、でも、あいつらとは違う」になるとか、あと「一般人だって俺らと同じだ」と「俺らは一般人と同じだ」の違いについて、とか。
 ところで僕自身は「一般人」という言い方は(たぶん)あまり使わないし使いたくも無いのだが、「『一般人』なんてものは居ないんだよ。ただ個別の人たちが居るだけなんだよ」という発言をして事足れりとしているひとに苛立ちを感じることがあるわけで。
 それはたぶん彼ら彼女らが、そのくせ、自らのなかの「人一般」というカテゴリーと自分との距離について無頓着であるように見えるからなんだろうなと思ったことでしたよ。

(1月13日追記)あー、念のために補足しておくと、「『人一般』というカテゴリー内における自分自身の位置」に無頓着とか、そういう話ではないのです。「人一般」を感じ取る自らのカテゴリー能力と『自分』(←好きではないですが、自意識という言葉に置き換えてもとりあえず構いません)との距離という話です。