kowagariのひととiduruのひとのやりとりは何だか妙な形で終結したみたいだけど、それはともかく前回からの続き。jounoさんへのお返事。

http://d.hatena.ne.jp/jouno/20050910/1126371154

「彼がそこから得たもの」と「自己完結性の暴力的喪失」が不当に同一視されています。
 同一視することの是非(ややこしい問題ですが)を回避したとしても、「『安定した自己完結性が暴力的に喪失されてしまう』ことを安定して受容出来るのって、何か変じゃない?」という僕の中学生的疑問は残るように思います。
 同じく中学生的疑問としての「実はそれって、完結性を喪失なんてしてないんじゃないの? あるいは、主体の範囲を拡げることによって、広い意味での完結性を維持しようとしてるだけじゃないの?」とかも。


内面とスキルの分離の問題については、いまひとつまとまっていないのですが、
 僕自身、「内面とスキルの分離」という言葉によって何を言いたかったのか、既に判らなくなってしまってます。すみません。今現在の言葉だと、「誰かに自分の求愛が受け入れられるかどうかという不安」と「愛する/愛されること自体の不安」とを分けてしまうかのような態度には違和感を覚える、あたりでしょうか。