ついでに石橋さんのこと。

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080311#p1
> 何となれば、国家も、宗教も、哲学も、文芸も、その他一切の人間の活動も、皆ただ人が人として生きるためにのみ存在するものである
文芸やアート以外に対してであれば俺も特に文句を言わずに受け入れて前提に出来るけど、文芸を含む創作全般に関しては、受け入れられない。
文芸を含む創作全般を、とりあえずアートと呼ぶことにする(俺は一貫してそう考えているが、そこの議論は別として)。
アートは、人が人として生きるために存在するわけではない。そもそもアートは、他の目的のための手段ではなく、それ自体が目的であり、アートの内輪の基準として言うなら、どのようなものであれ目的を押し付けられる筋合いなどない。

とてもリベラルな人だとは思うけど、彼はやっぱり政治家なのであって、ここでは政治家の望むアートの鋳型が提示されていて、あるべき自由なアートよりも、彼のアート像は窮屈で狭い。

石橋湛山については全然知らないのですが、「ただ人が人として生きる」という文章を読んで、いきなり「ここには『人とは何か』という確固とした概念が最初からある」と思ってしまうのはダメなんじゃないでしょうか。
とりあえず昔の文章を発掘しておきます。

この辺を真面目に考え始めると、何でも「可謬性としてのリベラリズム」とかがやってきて大惨事らしいです。助けて!大川先生!