2005年10月初頭、ジブラルタル海峡を越えて存在するスペインの小さな飛び地*1へと必死に侵入しようとするアフリカ人移民の問題に取り組んできたスペイン警察は、スペインとモロッコとの国境に壁を建設する計画を提案した。提案されたイメージ――最新の電子機器の複雑な構造体――はベルリンの壁と不気味に類似しているが、その目的は正反対である。この壁は人々が入ってくることは妨げるが、出ていくことは妨げないようにデザインされているのだ*2

 おそらくはヨーロッパでもっとも反人種差別主義かつ寛容であるサパテロ政権がこのような分離政策を採用せざるを得なかったということは、残酷なアイロニーである。これは、境界を開き他者を受け入れることを説く多文化主義者の「寛容な」アプローチの明確な限界である。すなわち解決手段が、しばしば心優しきリベラル「急進派」によって推し進められる安易かつ空疎な要求としての「壁を破壊し、人々を一つにする」ではないことは明らかになりつつある。
 むしろ現実的な解決手段は、本当の壁――警察力によって維持される壁ではなく、社会経済的な壁――こそを破壊すること、人々が自らの世界から逃げださなくても良いように、社会自体を変革することなのだ。

*1:http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/africa/ceuta.html あたりを参照のこと

*2:訳注:この飛び地はスペインからやってきた観光客がアフリカ観光を行う際の拠点でもある。そのため、「最新鋭の人物認証システムを導入して、壁の内側へと戻ってくる観光客に不法移民が紛れ込まないようにする」とか何とか、そういうことを考慮する羽目になる。酷い話だ。