しかし、懐かしの人種差別主義のみを我々はここで相手取っているわけではない。それ以上のもの、来たるべき「グローバル」社会の根本的な特徴が問題となっているのだ。
 2001年9月11日にツインタワーが崩壊した。それより12年前の1989年11月9日にはベルリンの壁が崩壊した。11月9日は「幸福な90年代」――フランシス・フクヤマが夢見た「歴史の終わり」を告げるものであった。自由民主主義は(原則として)勝利を収め、探求は終わりを告げた*1。グローバルかつ自由主義的な世界共同体の到来が、すぐそこの角を曲がったところに待ち構えていた。そして、この超ハリウッド的ハッピーエンドに対する障害物は、国家元首が自らの時代が終わっていることをまだ理解していない孤立した地域といった、単なる経験的かつ偶発的なものであった。
 これとは対照的に、9/11はクリントン派の幸福な90年代の終わり、あらゆる場所――イスラエルとウエストバンク*2の境界、EUの周囲、アメリカとメキシコの国境――に新しい壁が出現するような、来たるべき時代の主要なシンボルである。ポピュリスト*3新右翼の台頭は、新たな壁を求める動きのもっとも顕著な例であろう。

*1:訳注:"the search is over"が原文。サバイバーの名曲タイトルから来たものかしら?

*2:wikipedia:ヨルダン川西岸地区

*3:wikipedia:ポピュリズム