Slavoj Zizek ”You May!”(その14)

(Everything is turned back to front.……)
 あらゆるものがあべこべになってしまった。社会秩序は階層や抑圧、厳しい規則によってはもはや維持されていないため、逸脱による解放的行為によって破壊されない(我々が教師のことを彼の背中ごしに笑うときのように)。
 その代わりに、我々には自由で平等な個人間での社会的関係が与えられていて、それは服従の極限の形態に至る"passionate attachment"によって補われている。"passionate attachment"は「よこしまな秘密」("dirty secret")として、つまりリビドー的満足の逸脱的な源として機能する。寛容な社会においては、厳しく体系化された権威主義的な主従関係こそが逸脱的なものになるのだ。
 このパラドックスあるいは反転は精神分析にふさわしい話題である。なぜなら精神分析は、楽しみを禁止するような権威主義的な「父」を扱わないが、その代わりに、楽しむことを命令し、その結果としてあなたをインポテンスあるいは不感症にさせてしまう猥褻な「父」を扱うからだ。無意識とは法に対する密かな抵抗ではなく、法それ自体なのだ。