Slavoj Zizek ”You May!”(その15)

(The psychoanalytic response to the 'risk-society' theory of the reflexivisation of our lives ……)
 我々の生活における再帰化についての『リスク社会』理論に対して、精神分析が行う回答とは、再帰化以前に存在する実体としての無意識を強調することではない。それらのリスク社会理論がもうひとつの再帰化のモードを無視していることを精神分析は指摘する。
 精神分析にとって、人間のリビドー的経済における倒錯とは、何らかの楽しい活動を禁止した結果によるものである。ここでの禁止とは、法に対して強く服従して全ての楽しみを奪われた生活のことを指すわけではない。法を実践すること自体が楽しみを与えてくれるような生活、違法な誘惑を遠ざけるような儀式を実行すること自体がリビドー的満足の源泉となっているような生活のことを指しているのだ。
 たとえば軍隊生活は、公式な規則と同じくらいに、一連の書かれざる猥褻なルールや儀式(新入りに対する、同性愛的エロスに満ちた*1懲罰やイジメなど)によって支配されていると言える。この性化された暴力は兵営での秩序を害するわけではない。この性化された暴力は、秩序に対する直接的かつリビドー的な支援として機能するのだ。
 規範的権力の機構や手続きは『再帰的に』性化される。最初のうちは、支配的な社会秩序や象徴秩序によって『違法』だとみなされる欲求を規制するために抑圧が出現する。しかし、抑圧が精神的秩序のなかで生き残ることができるのは、その規制に対する欲求が存在するとき――規制するという行動自体が精神的秩序のなかでリビドー的に投資されリビドー的満足の源泉へと変換されたときだけなのだ。

*1:"homoerotically-charged"なんだけど、どう訳したものか