Slavoj Zizek ”You May!”(その8)

(Reflexivisation has transformed the structure of social dominance. ……)
 再帰化は社会の支配構造を変えてしまった。ビル・ゲイツに関する一般的なイメージを取り上げてみよう。ゲイツは家長的な「父親−主人」でも、厳格な官僚的帝国を運営し、近づきがたい最上階で多数の秘書とアシスタントに取り囲まれているような「ビッグ・ブラザー」でもない。
 その代わりに彼は一種の「スモール・ブラザー」である。彼の怪物性はあまりに不気味であるため、もはや普通の典型的イメージでは表すことができない。彼の怪物性を指し示している記号というのは、まさに、彼のその「普通っぽさ」なのである。
 写真やイラストの中での彼は、他の誰であるようにも見える、しかし、彼の悪魔的な微笑は、その下に潜む表現不可能な邪悪さを示している。ゲイツがかつてハッカーであったとみなされていることも(もちろん『ハッカー』という単語は、攪乱的/境界的/反権威的な響きを持った言葉であり、ハッカーとは巨大な官僚的組織がスムーズに機能することを妨げることを誰かにそそのかすような連中である)、偶像としてのゲイツに関する重要な一面である。
 (我々の)幻想のレベルにおけるゲイツという人物は、尊敬すべき議長の座を乗っ取った挙句に自らが議長であるかのように着飾った、攪乱的でとるにたらないゴロつきである。ビル・ゲイツという人物像においては、「スモール・ブラザー」――つまり、平均的なイヤな人物というイメージが、我々の人生の完全なコントロールを企む邪悪な天才というイメージを内包している。
 初期のジェームズ・ボンド映画の中では、邪悪な天才は一風変わった人物であった。そして、贅沢に着飾るか、もしくは毛沢東主義的な人民委員の灰色の制服を着ていた。ゲイツの場合、このような馬鹿馬鹿しい見せかけはもはや必要でない。――邪悪な天才は、すぐ隣の少年であることが判明しているのだ。