Slavoj Zizek ”You May!”(その9)

flurry1800-12-22

(Another aspect of this process is the changed status of the narrative tradition……)
 このプロセスのもう一つの面として、我々が自らの人生を理解するために用いる物語作法*1の、変更された地位がある。「男は火星人、女は金星人」(1992)においてジョン・グレイ*2は、ナラティヴ−脱構築的な精神分析を、より俗悪にしたバージョンを提案した。
 彼によると、我々は究極的には自分自身に自分自身のことを話すという物語で『ある』。そこで彼は、精神的なデッドロック(行き詰まり)の解決は、我々の過去の物語を『ポジティブに』書き直すことにあると提案した。
 彼が考えていることは単に、「否定的で誤った信念を、他人によって愛され創造的な業績があげられるという確信へと変える」というような、標準的な認知療法には留まらない。もっと『ラディカル』な、幼年期の外傷(トラウマ)的経験への遡行という擬似フロイト理論的な手続きなのである。
 グレイは、幼少期における外傷的経験が、主体のその後の成長に対して永久に痕跡を残すという精神分析的な概念を採用する。しかし、彼はそれに病理学的なひねりを与える。彼の提案はこうだ。幼少期の外傷的経験をもたらした場面へと遡行したところで、患者はセラピストのガイドに従ってこのシーン――つまり、患者の主体性に関するこの根本的な幻想の枠組みを、より温和で生産的な物語の一部として『書き換え』なければならないのである。
 仮にもし、あなたの無意識に存在しあなたの創造的な態度を抑圧している幼少期の外傷的な場面が、あなたの父親があなたに「お前は役立たずだ! お前には失望した!」と叫んでいる場面だとする。あなたはそれを、親切な父親があなたに「おまえは良い子だ。信頼しているよ」と微笑みかけるという場面へと書き直すべきなのである。
(それゆえ、このグレイの解決法が「フロイトの狼男」へと示す処方箋は、彼が両親が性交しているのを覗き見てしまった場面へと遡行(=再想起)して、その場面を「両親は単にベッドに横になっているだけであり、父親は新聞を、母親はセンチメンタルな小説を読んでいる」と描き直す、というものになるであろう)
 これは馬鹿げた行いに見えるかもしれない、しかしながら、この行為の「政治的に適切な」バージョンは広く受け入れられている。民族的、性的、あるいはその他のマイノリティの人々が自らの過去を、よりポジティブで自己肯定的な傾向へと書き直すことである(たとえば、ヨーロッパ文明よりもずっと以前に古代アフリカ帝国が科学技術やそれ以外に関する高度な理解を持ったと主張しているアフリカ系アメリカ人のように)。
 同じようなやりかたで「十戒」を書き直すことを想像してみよう。戒律の一つが、あまりに厳しいのではなかろうか? よろしい。それではシナイ山へと遡行して戒律を書き直すことにしよう。不倫に関しては――それが真剣なものであり深遠な自己実現の目的に適うならばOKということにしよう。
 ここで消え失せたのは『厳然たる事実』('hard fact')ではなく、外傷的遭遇における現実界(the Real)――主体の精神的秩序(psychic economy)において、この外傷的遭遇を象徴的に書き換えてしまうことに対する抵抗を組織する役割を果たしている――なのだ。

*1:"narrative tradition"のこと。誰か正しい術語を教えてください

*2:訳者コメント:このジョン・グレイというひと、心理学博士だか精神分析医だかの肩書きで、自己啓発や恋愛関係、夫婦問題などのベストセラー本を数多く書いている模様。ある意味、この文章の冒頭に出てきた「ルールズ」と非常に近い関係ですね。