Slavoj Zizek ”You May!”(その10)

(In our post-political liberal-permissive society, ……)
 我々のポスト政治的かつリベラルで寛容な社会においては、人権とは十戒を犯す権利を示しているとみなすことができる。プライバシーについての権利は実際には、観察され調査されることなく秘密裏に不倫を行う権利である。幸福追求権、私有財産の所有権は実際には盗みを行い他者を搾取する権利である。出版と表現の自由は――嘘をつく権利である。 自由な市民による武装の権利は――人を殺す権利である。宗教の自由は間違った神を賛美する権利である。
 もちろん、人権それ自体が直接に戒律違反を許可するわけではない。しかし人権は、宗教的あるいは世俗的な権力の手の届かないところにある境界的な『グレイゾーン』を維持する。この薄暗い場所において私は戒律を犯すことができる。そして、権力が私を捕えて私の戒律違反を防ごうとするならば、私は「基本的人権に対する侵害だ!」と叫ぶことができる。同時に人権の適切な使い方を妨害するのでない限り、権力が人権の『濫用』を防ぐのは不可能である。
 犯罪調査に嘘発見器を使用することに対する反感――あたかも、そのような直接的で『客観的な』検証は、使用対象の思想におけるプライバシーの権利を何らかの理由で侵害してしまうかのような――が存在することをラカンは指摘している。