Slavoj Zizek ”You May!”(その4)

(We are dealing with an imaginary cartography, ……)
 我々が論じているのは、自らの中に存在する薄暗い(shadowy)イデオロギー的対立を実際の地形へと投影してしまう、イマジナリーな(imaginary:想像上の)地図作成である。これは「転換」――フロイト理論におけるヒステリー患者が、自らの症候を身体の特定の部分へと投影してしまうようなイマジナリーな解剖学と同様のものである。イマジナリーな地図作成における投影の大部分は人種差別的なものである。

 まず最初に、真の価値(西洋的・文明的・民主主義・キリスト教)を称揚する一方で、バルカン半島の人間を「専制的、野蛮、ギリシャ正教会的、イスラム教的、退廃的、東方的」な他者として排除するという、昔ながらの恥知らずな人種差別がある。
 しかしながら『再帰的』かつ「政治的に適切な」(ポリティカリー・コレクト)人種差別も存在する。リベラルな多文化主義者が認識するバルカン半島は、交渉と歩み寄りによって対立を解決するというポスト国民国家時代(post-nation-state)の合理性とは、まったく正反対の場所である。彼らが認識するバルカン半島は、民族主義的恐怖と、非寛容さと、原始的・部族的で非合理な熱情とが支配するような場所である。人種差別主義とはバルカン半島に住んでいる他者の罹った病であり、西ヨーロッパに属する自分たちはバルカン半島に対しての単なる傍観者で、中立的かつ慈善的で、正しく狼狽しているだけなのだ。
 最後に、バルカン半島のエキゾチックな真正性を賛美するような、反転した人種差別がある。たとえば、自己抑制的で貧血気味の西ヨーロッパ人とは対照的に、いまだ人生に対して熱烈な態度を示すセルビア人、というようなイメージがそうである。反転した人種差別は、西側におけるエミール・クストリッツァの映画の成功において重要な役割を演じている。*1

*1:訳者の個人的コメント:日本の場合だと、たとえば先日公開された映画「血と骨」(原作:粱石日)や、あるいはその他の「韓流」映画、在日韓国・朝鮮人をテーマにした作品について考えてみると良いかもしれない。彼らのエネルギッシュな表現が賛美されるとき、そこには反転した人種差別意識が潜んでいる可能性があるのではないかしら。