Slavoj Zizek ”You May!”(その3)

(Even racism is now reflexive. Consider the Balkans. ……)
 人種差別さえも今日では再帰的である。バルカン半島について考えてみよう。リベラルな西側メディアによると、バルカン半島民族主義的熱情の渦――多文化主義者の夢が悪夢へと変わってしまった場所である。この描写に対するスロヴェニア人(私自身もスロヴェニア人である)の標準的な反応はこうだ。
 「ああ、バルカン半島は確かにそういう場所だね。でもスロヴェニアはバルカン諸国の一部じゃないよ。スロヴェニアは中部ヨーロッパの一部だからね。バルカン半島クロアチアボスニアから始まっているんだ。我々スロヴェニア人は、バルカン半島の狂気に対するヨーロッパ文明の最後の砦なんだ」

 仮にあなたがどこかの場所で「いったいバルカン半島って、どこからどこまでなんだろう?」と訊ねたとする。あなたが得られる回答は常に「ちょうどここの場所の南東からバルカン半島が始まるよ」というものであろう。
 セルビア人にとってはバルカン半島コソヴォボスニア――、つまりセルビア人が、文明的でキリスト教的なヨーロッパを他者の侵略から守ろうとしている地点から始まっている。クロアチア人にとってはバルカン半島はセルピアから――、つまり、クロアチアが西洋民主主義を護るために戦っている相手であるところの、ギリシャ正教徒的で専制的でビザンチン的なセルビアから始まる。
 多くのイタリア人とオーストリア人にとって、バルカン半島スロヴェニア(そこは彼らにとって、スラブ人の大群の最西端とみなされている)から始まる。多くのドイツ人にとって、オーストリアとはバルカン半島の腐敗や非効率性によって汚染されてしまった存在である。多くの北部ドイツ人にとって、カトリック的なバイエル地方はバルカン半島の汚染から逃れられていない。多くの尊大なフランス人はドイツ人を見て、東方的、バルカン半島的な粗野さ――つまり、フランス的な優美さを欠いているということだ――を連想する。
 最後に、EUに反対する一部のイギリス人にとってのヨーロッパ大陸は、その貪欲な専制政治が英国の自由と主権を脅かすような、オスマン・トルコ帝国の再来である。EUの本部であるブリュッセルは新バージョンのイスタンブールなのだ。