>こっちの言う「ごっそり持っていってしまう」とそっちの言う「ごっそり持っていってしまう」の違いはーとか考えるとぐんにょり。
 いやその、すみません。解説ありがとうございます。「もちろん正確にはそちらが共通点とやらを明確にしない限り話は進みようがないのだけど」ええ、まったくです。論点がクリアになった気がしますね。でも「共通点」についてはいま考えているところなので(僕が)ダメダメなんですが。
 僕の気分としては、「ダメだから良い」みたいな物言いには割と「好意によって、ごっそりもってかせる」ところがある気もします。まだきちんと考えてはいないんですが。

 一方、そちらの言う「ごっそり持っていってしまう」は、(もちろん正確にはそちらが共通点とやらを明確にしない限り話は進みようがないのだけど)どんな言葉についても大なり小なり起こってることのような気がしてならないわけです。いわば、それが「たまたま大きいだけ」
 特に回避方法が「その言葉それ自体を使わずに、他の言葉で言い換えてみてはどうでしょう」ってのはもうそのままそれと取ると非常によくはまる。よくはまるからってそうとは限らないけど、この場合、実際そのように見える。
 うーん。「大なり小なり」でまとめて良いものでしょうか。それぞれのマジックワードの構造の違いについても考えてみるべきだと思うんですが。もちろん、思考やら言葉やらの相互関係については古来よりのとても難しい問題ですし、一筋縄では行かない問題なんですが。
 僕が書いた「その言葉それ自体を使わずに、他の言葉で言い換えてみてはどうでしょう」ですが、その言い換えが、たとえば単に「バカ」を「アホ」で言い換えることなのか、というと違う気もします。関西人にとっては大きな問題なのかもしれませんが。
 たぶん、「一つの言葉ではなく、文章で置き換えてみては?」ってことだと思うんですが。うーむ。

 何を言ったところで「言語の拡散方程式」に従って言葉は大なり小なり「マジックワード化」するし、それは悪いことじゃないと思う。よく転叫院君が「理系の特定業界のマジックワード」みたいなのを逆手にとって遊んでいるけれど、あの面白さはまさに「マジックワード」の愉快さなんじゃないのかとか思うわけ。
「言語の拡散方程式」という喩えがまるで分かりません。
 あと彼の「遊び」は、いまいち僕のセンスと合わないところがあって、あんまり愉快だとは思わないのです。マジックワードであること自体に淫しているところがあって。もう一歩先に踏み込んでくれるほうが僕の好みです。


>じゃあなぜ「面白い」とかが「嫌い」なのかといえば、「飽きた」だけじゃないかと思うわけです。
「飽きた」というのは割と本当かもです。「ダメだから良い」とかそういうのには、ものすごい勢いで飽きてます。
> 翻れば、じゃあなぜ「面白い」とかが「嫌い」なのかといえば、「飽きた」だけじゃないかと思うわけです。だとすれば、マシュウおにいちゃんに必要なのは「再発見」のはず。(再発見は嫌いじゃないのかな? うひひひ)
 僕に再発見が必要なのかどうかは良く分かりませんが、一般的に、何かを再発見するのに必要なのは「異化」だとされてますよね。つまりここで「物語」と「異化効果」に関する、とてもとても微妙で重要な問題が浮上してくるわけです。僕自身ではまだじぇんじぇんきちんと考えてないんですが。
(個人的メモ:ブレヒト読まなきゃダメかなあ。というかブレヒトの戯曲を見に行きたい。異化効果と教育劇について。たとえば、http://portb.zone.ne.jp/brecht/panf.html での「各人が「観客」であることを止め、日常生活での自他の行動を「演技」として作り/観察していたならば、例えば“ナチズム”という“演劇”はあそこまで興隆しなかったはずである」という言葉への僕の違和感について。http://portb.zone.ne.jp/museum/museum_index.html は観てみたいんだけど東京での平日上演かあ。ぐっすし)

 と、それはともかくとして、マシュウおにいちゃんの日記が面白いとおもうところは「複項の連結具合」にある、と以前言ったわけだけど。「知っているもの」と「知っているもの」の連結によって「新たな視点」みたいな。
 ようは「単項」から勝手に「都合のいい複項」を先制連想して「嫌い」とかいってんじゃねぇ。ってことでもある。
 何が書いてあるかじぇんじぇん分からないので、もう少し解説をお願いします。


>なんかそろそろ自己矛盾してそうだなぁ。あっひゃっひゃ。どこからかパーフェクトな突きが来ないかなぁとか期待。
いや、みつき先生の言葉は分かりにくいので。自己矛盾がありそうだと思われるならご自身で発見されて、その場所を僕に教えていただけると勉強になるので助かります。