東浩紀さん、疎開先の伊豆からニューヨークタイムズ紙に「日本人は惨禍に勇敢に立ち向かっている。日本人は自らを誇りに思っている」と寄稿

(3/18 翻訳を一部修正いたしました)
東浩紀さんが疎開*1から本日付のニューヨークタイムズ紙に寄稿した文章について、後半部分を訳しました。
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17azuma.html?_r=1&src=tptw

内容自体の酷さもありますが、とりあえず、いま言いたいこととしてはhokusyu82さんの以下のツイートに尽きます。

ぼくは逃げる逃げないは個人の立場と判断ですればいいと思うし「逃げろ」というのも「逃げるな」というのも今の東京ではちょっと変だと思う。でもその、だとしても(だとすれば)そんな文章書くなよと。せめて「日本の政府と人々は…勇敢に立ち向かっている。俺は伊豆に逃げた」って付け足してほしい
http://twitter.com/hokusyu82/status/48345586847580160

英語力がない上に、ほとんど辞書を引かずに訳したので誤訳などあると思います。指摘お願いできればと思います。


From the quakes to the tsunami to...


 地震から、津波、そして原発での事故に至る、すべての出来事の連鎖について、いまや私たちはみな知っている。そして、はっきりした予想や判断については待つ必要があるだろうが、地震から6日目の今日、ただひとつ言えることがある:日本人は自らの国家を、少なくともこの20〜30年よりも肯定的に見始めているのだ。

 第二次世界大戦での敗北以降、日本人は自らの国や政府に誇りを持つことがほとんど出来なかった不幸な人々である。これは、経済バブルが弾け、長きにわたる景気後退が続いたこの20年間にはとくに当てはまっている。首相が何度も交代し、政策が行き詰まり、政治的シニシズムが蔓延した。さらには、1995年の阪神大震災の後の政府の対応が無能であったため、人々からの強い批判が集まった。

 しかし今回、状況は異なっている。もちろん、マスメディアは容赦なく原子力事故および停電について、政府と電力会社を詰問している。その一方で支持の声はとても大きい。枝野幸男官房長官(救援活動に関する報道官だ)はインターネットのヒーローになった。また自衛隊の救援活動も賞賛された。

 私は日本人が「公共」("the public")についてこれほど考え議論するのを目にしたことがない。ほんの最近まで、日本人と日本政府は、優柔不断で利己的で、不満と些細な言い争いで混乱しているかに見えた。しかし今、彼らは以前とは別人であるかのように、一緒になって自らの国を果敢に守ろうとしている。若い世代の表現を借りるならば、日本人は完全に「キャラ」が変わったかに見える。

 奇妙なことに、日本人はいまや日本人であることに誇りを持っている。もちろん、この新しいキャラがどれほど望ましいものであるかは議論の余地がある。ナショナリズムに繋がりかねないからだ。すでにそのような懸念がウェブから立ち上りつつあるのを私は目にしている。にも関わらず、私はこの現象に一筋の希望の光を見いだすのだ。

 地震以前、日本は来るべき衰退について心配する気弱な国家であった。人々は国家に何も期待せず、世代を越えた相互扶助や地域コミュニティの信頼は崩壊しはじめていた。

 しかし、おそらく日本人は、新たな信頼で結ばれた社会を再建していくため、この惨禍の経験を用いることができるはずだ。多くの人々は自らの優柔不断な自己へと立ち戻ろうとするだろうが、こうした自分自身の(有害なシニシズムの中で麻痺していた)公共心と愛国心に溢れた面を見いだすという経験は、消え去るものではない。

 私は海外メディアが、日本人が災害に直面した際の冷静さと倫理的道徳的な(moral)態度について、驚きの声で報じているのを耳にした。しかし、実際にはそれは、日本人自身にとっても驚きだったのだ。「全力で取り組めばできるよ」「国全体がおしまいになるほどの状況じゃない」「「蓋を開けてみればオレたち、国民全体としては捨てたもんじゃないよな」これが、この数日の間、いささかの当惑と共に日本人が感じたものなのだ。

 私たちのこの感情はどこまで拡げることができるだろうか。一時的なものか、それとも社会へと拡げていけるものだろうか?私たちのこの感情は、時間的にそして社会的にどこまで拡げることができるだろうか。この問いの解答は、復興が成功するかどうかーー現在の災厄だけでなく、過去20年間続いた停滞と絶望からのーーによって示されるだろう。

【著者紹介】
東浩紀早稲田大学教授であり、「オタクーー日本のデータベース的動物」*2の著者である。この記事はShion KonoとJonathan E. Abelによって日本語から翻訳された。