平川秀幸「科学は誰のものか 社会の側から問い直す」

http://www.amazon.co.jp/dp/4140883286 (62-67ページより)

BSE問題が引き起こした「信頼の危機」

このような参加型テクノロジーアセスメントの登場に見られる欧州の「統治からガバナンスへ」の動きは、1996年のある事件で一気に加速されることになる。いわゆる「BSE牛海綿状脳症)危機」だ。
86年に英国で発見されたBSEは、長らく牛から人への感染はないとされてきた。初期に調査を行った政府のサウスウッド委員会は89年2月に報告書を発表し、「人への感染リスクは極めて小さい」と結論づけた。政府はこれを根拠に安全性をアピールし続け、「安全宣言を危うくする恐れがある」という理由から何ら予防措置を施さなかった。その背景には、英国畜産業への打撃を恐れた当時の英国政府の思惑があったことが、後の調査で明らかになっている。
実をいえば報告書は、「評価が誤っていれば、その含意は極めて深刻」「長い潜伏期間を考えると、完全な証明は10年かそれ以上かかる」「人への感染の可能性を完全に排除することはできない」とも述べていた。しかし、この可能性が現実的なものだと主張できるだけの説得力のある証拠はなかったこと、また上述のような政治的思惑もあったことから、この但し書きは無視され続けたのだった。
そして結果は科学者たちが懸念していたとおりとなった。BSE感染牛を食べたことが原因と考えられる新型の人の脳症(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病)の例が次々と見つかり、ついに96年3月20日、英国政府はBSEが人にも感染することを公式に発表せざるをえなくなったのだ。その結果、政府だけでなく、科学者や科学そのものに対する深い不信が、英国民、さらには欧州市民のあいだに広がることになった。
そして、これに追い撃ちをかけるようにしてわき上がったのが、遺伝子組換え作物の安全性をめぐる論争だ。世界に先駆けて商業栽培を開始した米国の組換え食品(トマトピューレ)が欧州市場に登場したのは96年2月のこと。すでに起きていたその安全論争を、BSE危機が一気に加熱させたのだ。消費者の不安は一気に広がり、英国王室のチャールズ皇太子から大手スーパーまで巻き込んだ反対・排斥運動が湧き起こったのだ。
これに対して英国をはじめとする各国の政府や開発企業、科学者たちは、組換え作物の安全性を訴えたが、BSE危機を経験した消費者には全く通用しなかった。なぜか。
一つには、食品やテクノロジーの安全性を保証するための科学が信用されなくなっていたからだ。安全といっても、それは現時点で知られている科学的証拠に基づいたものに過ぎず、BSEのように、今は知られていないリスクが将来明らかになるかもしれない。消費者はそのように考えたのだ。
また、政府や企業に対する消費者の不信感も根強かった。彼らは、自分たちの利益を守るために消費者の健康を犠牲にしているのではないかと疑われていたのだ。このような科学と政府・企業に対する深い不信感の広まりは、後に「信頼の危機」と呼ばれるようになる。


「理解」から「対話・参加」へ

こうした危機の結果として、英国の政府や科学界を中心に起きたのが、科学技術に関するコミュニケーション(科学技術コミュニケーション)の考え方やスタイルを「統治」的なものから「ガバナンス」的なものに抜本的に転換することだった。
信頼の危機が訪れるより前の伝統的な科学技術コミュニケーションのスタイルは、英国では「一般市民の科学理解(PUS: Public Understanding of Science)」と呼ばれている。1985年に同国の権威ある学術組織ロイヤルソサエティが発表した同名の報告書に由来する呼び名だ。日本では「科学技術理解増進活動」という。その一番の目的は、科学技術に対する一般の人々の興味・関心を高め、科学的な事実や基本概念、方法論についての正しい理解——「科学リテラシー」ともいう——を広めること。そうすることで、人々が科学技術に関連する日常生活や社会の問題について合理的に判断したり、科学技術に肯定的な態度をもつことが期待された。
そのスタイルは、大学や研究所、学会などによる講演会や公開講座、科学博物館での展示やイベント、啓蒙的な雑誌や書籍、テレビ番組、政府からの情報提供など、「知識のある者から、ない者へ」という一方向的なもので、政治学的に見れば、まさにトップダウン的な「統治」のパターンが主流だ。
遺伝子組換え作物のときもそうだったが、新しいテクノロジーに対して人々が不安になったときに行われるのは、まさにこのタイプのコミュニケーションだ。その背後には、「一般市民は科学の正しい理解が欠けており、そのために不安になったりするのだ。だから正しい理解を広めれば不安はなくなる」という考え方が隠れている。これを科学技術コミュニケーションの「欠如モデル」という。これに基づいて「ご理解ください」=「安心して受け容れてください」と説得するのが伝統的なやり方だったのだ。
ところが、このようないわば上から目線的な「ご理解路線」「啓蒙・説得路線」のコミュニケーションは、信頼の危機を前にしては全く通用しなかった。
なぜなら、このコミュニケーションは、「すでに正しいと分かっている知識」または「現時点で正しいとされている知識」をもとにしているため、BSEや遺伝子組換え作物で問題となったような「未知のリスクがあるかもしれない」という不安や、「そもそも政府や企業、これらと結びついた科学者の言うことは信用できない」という不信感の前では説得力がないからだ。それどころか、「彼らは未知のリスクの可能性を無視して、BSEと同じ過ちを繰り返す気か」という具合に、余計に不信を買ってしまいかねない。
そして、こうした御理解・啓蒙路線からの転換として、英国の政府や科学界が選んだのが、先の参加型テクノロジーアセスメントに代表されるような、科学者、政府、産業界、一般市民らのあいだの双方向的な「対話」や、政策決定への「参加」を重視する「公共的関与(public engagement)」というスタイルだった。
英国では議会の委員会が、この転換の必要性をアピールした二つの報告書を2000年、01年に相次いでまとめ、それ以降、公共的関与のための活動が全国的に推進されるようになった。欧州連合EU)でも2002年以降、欧州委員会の研究総局(日本の文部科学省に当たる)が、科学者たちと市民との対話促進のための「科学と社会」というプログラムを続けている。